Vivian Girls の Woman Live:女の「男性」化と男の「女性」化について

Vivian Girls の Woman Live:女の「男性」化と男の「女性」化について


Vivian といふ音の響きに、そして意味合ひに私は魅惑されたのであった。 vivid,vital, virgin, と云った生々とした少女の姿を想像して。


Vivian Girls は Henry Darger といふ病院の清掃員を職業とする男が想像創造した純然たるフィクションであったが、第一次世界大戦後のその時代は實際のこの地上に Vivian Girls のやうな女たちを出現させてゐた、やうに私には思はれる。
先に紹介した、T.S.Eliot にとっての「天使でもあり惡魔でもあった」Vivienne Haigh-Wood 188847 もさうだったらうし、Virginia Woolf 188241 もさうだった。
Woman Live を自覺して、これら Vivian Girls は男性中心の社界に挑戰していく。

西洋社界を革新したイギリス發の産業革命とフランス發の市民革命は、おのづと人類の半分を占める女をも目覺めさせた。産業化した世界が戰爭を始めると男の働き手がなくなり、女がその代はりを務めて、社界のなかへと出てくる。それが、女たちに人間といふ意識と自覺を持たせ、女の權利闘争へと赴かせる。第一次世界大戰の現場となったヨウロパで、コミュニズムも手傳って、さうした現象が顯著となっていく。
かうした女性解放運動が、Vivian Girls の物語を公表することなく Henry Darger がシカゴの救貧院で死んでいく1973年頃、Women Live の運動となってヴェトナム戦争後のアメリカで炎上してゐた。そして、1979年には国連総会で「女子差別撤廃条約」を決議させる。
男性社界にはげしく鬪爭を挑むWomen Live のアマゾネスたちは、まさしくクリトリスをペニスのやうに勃起させた Vivian Girls であった。
彼女たちは眞劍だった。男たちは最後まで女が抱いた本氣に、反亂に氣付かうとしなかった。彼女たちの、ジェンダー的、フェミニズム的鬪爭は着実に、男たちの「現実の王國」を侵略していった。
そして、今や、勝敗は決したかのやうに私などには思はれる。

女には子供と家庭を與へておけば、と男たちは手前勝手に思ひこんでゐたのである。たしかに、「専業主婦」といふブランドイメジで制壓できたと思はれた一時期もあった。だが、それは所詮「人形の家」であった。
女にとって女性とは、母も妻も妹もすべて(シモウヌ・ヴォヴォワアル云はく)「第二の性」でしかなく、男の壓制のもとでの文化的役割を演じさせられてゐたにすぎなかったのだ。女性も母性も、本能ではないのである。

やがて、この人間世界は女たちが支配することになるだらう。
だが、この女たちは必ずしも女性的ではない。むしろ男性的な精神の持主だらう。

そして、女の「男性」化につきあふやうに男は「女性」化する。
その最も顯著なる例が、日本の男である。平等平均を教えこむ洗腦教育、無害無毒の温室育ち、ショウユ顏のスキゾキッズにメランコボウイ、何時の間にやら菜食主義の草食動物となって、カマキリ女の犠牲となって、社畜家畜と嘲笑され、たゞおとなしく霸氣もなく、(あんまり云っても可哀想だから止しますが)、もうこゝまで來てしまったら、もっともっと女性化して、女の男性化を促進させてやったはうがいいのかも知れない。

あゝなんだかやりきれなくなってきた。一旦(メシのため)中斷




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