「ノマド」と「山人」について、『對のあそび』的に『比喩と揶揄』



{脱亞入歐はいまだに日本人の見果てぬ夢である。西洋へのコンプレクスは日本人の場合、反發とはならずに同化を撰ばせる。 明治維新以來、西洋コンプレクスから解放され「脱亞入歐」に成功した日本人は、白洲次郎190285くらゐしかゐないのではないだらうか。戰ひ敗れたアメリカにすっかりコンプレクスを抱き、日本人からは白洲次郎が云ふ「プリンシプル」は失はれ、福澤諭吉183501が言ひつづけた「獨立自尊」の氣概などどこにもない。「主なき隸從」とでも吐き棄てたくなる。



さて、今日の題目は、「ノマド」と「山人」、得意?の『對のあそび』


ところで、ネット上で一時期騷然と話題になってゐた「ノマド」は、今どうなってゐるのだらうか。

ノマドなどといふ耳新しいコトバで焚きつけられ、もっとも日本人的でない生き方へと驅られていった人たち、その大半の者たちは、おそらく、日本社界の鞏固なるゲンジツに惡戰苦鬪、龍馬のつもりがグウの音も出ない負け犬となって、早くも一生棒に振ってしまった後悔に苛まれてゐるのではないだらうか。そろそろ、そんな敗戰記がわんさか出てきさうな頃合ではある。

ノマドといふ語が私に身に付いたのは、一九七〇年代のドゥルウズの本であったやうに思ふ。
ドゥルウズ&ガタリの『千のプラトウ』では、ノマドとは遊牧民そのまゝに(本物の遊牧民はけっしてさうではないだらうが)「一定の状況に閉ぢ込められてゐない、自由に動きまはることのできる存在」といふやうな意味で使はれてゐたやうに思ふ。樹木のやうに一定の場處に定着せず「リゾウム=根茎」状に縱横に他のリゾウムと接觸連絡しあひ、その運動は豫め定まったものではなく、意外性を以て交流し結合する。今回、この記事のためにネットの檢索に目を通しながら、「リゾウム」に私は南方熊楠186741の「粘菌=變形菌」のことを想起してゐた。これはもっと大胆に、動物的な面と植物的な面を持つ變幻自在な森の生物だ。{この話はまた別の機會に

ノマド Nomade がフランス語で「Sedentaire 定住民」 に對立する概念ならば、日本で云へば(柳田國男187562による)「常民」に對する「山人」といふことになるだらう。
日本の風土では、非定住民の Nomade は山人となった。今は絶滅してしまったらしいが、「サンカ」などといふ「山人」が日本の山地にはゐて、或種の生業を營みながら山から山へと日本を流浪して囘ってゐた。
月の砂漠のノマドでは日本の風土とあまりにも懸け離れてゐるが、山人を意識&自覺すれば、あるいは日本に定着できるかも知れない。可能性はある。

山人と云へば、わが『きよきまなじり*つよきまなざし』のエピグラムに、柳田國男の『遠野物語』の序文「願はくはこれを語りて平地人を戰慄せしめよ」を採用したほどに、このファンタジイの根幹を擔はせたキイワアドである。
現代の自己閉塞する日本人=平地人=常民を心肝震撼させるには、彼等が日本の近代化現代化のうちに否定し絶滅させた「山人」のチカラヤカラを用ゐるにしくはないと私は思ったのであった。しかも「山人」は『遠野物語』が示してゐるやうに、日本人の原郷意識、ノスタルジアでもあるのだ。 ‥‥ 

しかし、ほろぼしたばかりの「山人」となることには、現代の日本人には躊躇があるだらう。山近くの過疎地を飛び歩く山人なんかイヤだと云ふにきまってゐる。それに、今の都會派志向の日本人では體力や精神力において山間地に生息棲息するのは無理だらう。
ノマドだってほんたうはさうなのだ。山人となるくらゐの困難にたいする覺悟と意識とが必要なのだ。

おそらく、ノマドの發作的流行は、時代の變化を追って、新しいライフスタイルとして「ノマド」と誰かが囀ってみたのだらう。そしたら『月の砂漠』が好きな日本人、遊牧民に憧憬を持つ日本人はたちまちそのイメジに魅惑されてしまった、と言ったところなのだらう。
既存のキャリアパスを踏まず、既存の産業分野に属さず、企業組織に属さず、しかも物理的に、日々あちこちのオフィスとカフェと自宅を行ったり来たりしている自分の働き方がノーマディック。
なんて弾んでゐる文章があったが、それがリクルウト雑誌のグラビアドリイム程度のキラクすぎる歌ひ文句にすぎないことは指摘するまでもあるまい。もしかしたら、「ノマド同士で手を繋げば」などと安易に考へてゐるのではないだらうか。どうも、そんな氣配だが。それだと、ノマドではなくギルド、下請けの組合の結成にしかすぎない。
たんなるSkillTalentと誤解してはなるまい。今の日本で、ノマド的就勞形態が容認されるのは、誰にもマネのできないタレントの持主だけだらう。それだって、完全獨立を撰ぶ者は少ないはずだ。誰でも身に付けられるスキルでは、いづれ土方爲事となってしまふのであり、その時、外部的な存在であるノマド業者に待ってゐるのは過酷な最低条件となるだらう。

ノマドなんぞではなく「日本人なら山人となれ」と励ましてやりたいところだが、藁にでも縋りたい連中に蜘蛛の糸を垂らすやうなことになりかねない。日本人なら山人やらノマドになってはいけません、と念を押して擱筆することとする。


蜃氣樓、ノマドのマドの窗際族 月の砂漠の夢の旅人



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