「モヨウを見る」柳田國男『毎日の言葉』より集語


「モヨウを見る」柳田國男『毎日の言葉』より集語


{これを讀んで、初めて私は雨「模樣」が雨「もよひ」でないことを理解し、納得しました。

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柳田國男187562『毎日の言葉』1937

○ モヨウを見る 
 模樣はもと支那語だったやうですが、この二つの漢字はともに「型」のことで、今ならば見本とか雛形とかいふのに當たる言葉であります。古くから我が國の女の人たちに親しまれてゐたのは、衣類のいはゆる染模様、綾模樣などがあるからで、これには文樣と書き、紋様とも字を替へて書きましたが、元は一つの語であったかも知れません。しかし、この語が毎日の言葉として、こんなにも廣く用ゐられる理由は別にありました。
つまりは、今一つのまったく違った語が、少しばかりこれと似てゐるために混同してしまったのです。
我々のよく使ってゐたのは、むしろ純日本語の「もよひ」から出た「もよう」のはうなのですが、漢字で書かうとした人が双方を區別なく、ともに「模樣」の字で表さうとしたばかりに、今ではモヨウと書くとモヤウと直されるまでになりました。
モヨヒは本來の「時」の感覺で、模樣や文樣のやうに目に訴へるものではなかったのです。たとへば、大病人はどんなモヨウかと尋ねたり、または雨「もよひ」、雪「もよひ」を御天氣モヨウと云ったりするのは、少しでも「模」や「樣」ではないでのあります。
このをかしな混同を起こした原因は二つ一つは「伊呂波」字引を作る人に考へが足りなかったこと、いま一つはモヨフといふ氣の利いた、いい動詞がはやく中央の都市から消え去ったことであります。
標準語で「催す」といふ第二の動詞だけが辛うじて殘り、それもモヨホシといふ名詞形だけで間に合はせようとする人が多くなりましたが、以前はモヨフといふ動詞の使はれてゐたことは證據があり、關東以北の田舍には今でもまだ活きて働いてをります。
同じ言葉が中央にはないといふことは、何と言っても地方の弱味であります。
他ではどうかといふことを識る機會がないので、形も意味も少しづゝ土地限りで變っていくからであります。
しかし、モヨフといふ動詞などは、さういふなかでも變り方の少ないはうで、各地の方言を見比べていきますと、今でもほゞ元の心持ちは窺ふことができます。たとへば、山形縣の各郡などは、我々が「三日たって」「五日して」などと云ふところを「三日モヨテから遊びに行く」と云ひ、または「今少しモフとお祭りだ」のやうに、モヨフをモフと發音してゐる村もあります。宮城縣の方でも、仙臺の付近はモフと云ひ、またはわざわざオを付けてオモフと云ふ人があります。「今二三日オモフと花咲きすべ」などといふのは、多分「思ふ」といふ語と同じと思ったからでせう。
 モヨフはそのためにたゞ時が經つほど經るといふだけでなく、「待つ」とか「見合はす」とか「ためらふ」とかいふ意味に移っていかうとしてゐるかも知れませんが、元々自分が時の經過に心付いてゐることなのですから、この違ひは僅かなものであります。
それから、一方には外形がモフとはならずにモヨルとラ行四段のやうになることも折々あります。越後は新潟付近などで、「暫くモイルと彼女がやって來た」といふふうにモイルと發音してゐる人さへあるさうですが、岩手青森秋田の三縣では、一帶にモヨルとなってゐます。もっとも、この地方ではフで終る動詞がどれもこれも終止形をルに改めて、買ふをカル、使ふをツカルなどといふ癖があり、一方ではモヨルの名詞形はモヨリでなくてモエと云ひますから、まだ完全に變ってしまったとも言へません。
たゞ、その内容が「時を過ごす」だけではなくて、ここでは「支度をする」または「準備をする」の意味にモヨルといふ動詞を使ってをりまして、たとへば、女が御化粧をすることをモヨル、またはよそ行きの着物をモエといふ所があるので、なんだかまた別の語のやうにも想像せられますが、さういふ豫期を伴ふのが、じつはモヨフといふ語の元からの用法であったとは、モヨホスといふ語からも考へられます。
古くからあったこのやうな便利な言葉を忘れてしまって、衣服の文樣や雛形などとゴッチャにして使ふのは惜しいことだと思ってをります。