時と永遠「我淨常樂、涅槃寂靜」 bymy『思考と空想』


「時と永遠」我淨常樂、涅槃寂靜 『思考と空想』より

私は無神論者、唯物論者なるがゆゑに、
この地上に得た自分の時間をなによりも大切、愛惜する。
前生なく、死後もない。この地上の現在だけが私なのだから。

私の存在は時間でしかない、たかだか數十年をゆるされた
無と無とのあひだの束の間の光の時間に私は現象するのみ
その束の間の時間を永遠化する努力、覺悟や解脱の方向ではなく、
無爲自然「きなり」自由氣儘の私自身で在りつづける事において

ストイックにしてエピキュリアン、
(元々この二つは隣り合ってゐた、對立してゐたのではなく


人として生まれて、人となってもつまらない
わが命をよりよく充實、燃燒させんがため
人より一段上をめざして、神となるのだ
「神」とは「上」、たゞそれだけのこと
Never up, never in(ゴルフ格言)
Going my way, Festina lente
春日山と高圓山の谷間に作られた古道、瀧坂の道を歩いての歸り、太古からの巨木を背景に若葉の新緑が照り輝き、そこで一服。カメラを向けた。
その時は氣付かなかったが、その巨木の陰に「涅槃寂静」「即身成佛」する私の幻影が寫ってゐた。
等倍にして見ると、草葉とその影の作り出したものと解ったが、幻影と見えるほどに像となってゐた。
葉一枚、違ってゐてもこの像は成立しないであらう。と思ふと、私は Mysterious になっていった。
写真は時間を止め、撮しとめられた「時」は「永遠」性をおびて、わが心像、心象となる。 ‥‥


若葉なす太古の森の風光に ―― 涅槃寂静、即身成佛


この世をば「あそび」の現場と心得て、常樂我淨に遊戲三昧す



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「あそび」についての集語

折口信夫188753『和歌の發生と諸藝術との關係』より

「あそぶ」は鎭魂を目的にした呪術的動作であった。
さうして、それが一つの偏向を持って鎭魂舞踏をおこなふことを意味するやうに用ゐられた。後世になるほど「あそぶ」といふ語の内容もきはめて緩やかになって、「をどり」をも「まひ」をも容れることができるやうになった語だが、舞踊の性質から言へば「をどり」に属するものであったやうである。
「をどり」といふ語は、久しく藝能的内容を持たぬ語として、たんなる勇躍の意義にしか用ゐられてゐなかった。それが非藝術的なものが風靡的威力を逞しうする時期に、一躍して位置を高め、それがその後、その藝能的地盤を固めるやうになったものである。さうして、この語には群集舞踏なる意義が久しく離れないでゐたやうである。
今、我々の考へる「をどり」は、却って昔の「あそび」に近づいてしまってゐるのであらう。
「あそび」にたいするのが、昔から「まひ」である。
「まひ」は旋回運動あるいは徘徊周旋を意味する語である。さうして、通常人間としておこなふものは「まひ」と言はれるものが多かったやうである。なぜなら、「あそび」は「神、之をおこなふ」ものであった。
どのみち、眞の神、示現して眞意を表出することはあり得ないのだから、人間がこれをおこなふに違ひはない。でも、神の資格においてするのと、全然さうした意志なしにおこなふのとでは大きな相違がある訣である。
記紀に傳へられ、また、記紀自身の成立の一つの要素ともなった「大歌(宮廷詩)」は、名目は「うた」と言ひ、「ふり」といふ區劃を示してゐる。けれども、それはたゞ宮廷に入ることの新古によるのである。又、古く入っても、内容が明らかに宮廷外のものだといふことを示してゐるやうな場合には、なほ新しく入ったもののやうに「ふり」と呼ばれてゐる。
「うた」は宮廷固有の謠ひ物のやうに見做されるものの名稱なのであった。宮廷にも元々相應の分量の「うた」はあったのだらうが、それを現在の記紀の類のものから抽出することはできない。明らかに見えることは、「ふり」が「うた」に昇格した事實である。さうして、この歌に相伴ってゐるのが「まひ」である。
だが、歌の性質からみて、「ふり」にも舞ひが伴ふことは當然のことである。しかも、元來相伴ってゐたが、又は後に出てきたために、歌舞揃はぬものがあるのか、その点も、今日存する書き物には忠實に上代歌舞の種目を傳へてゐるのではなく、傳へたのはほんの氣紛れといったやうな記録にすぎないから、はっきりしたことは言へぬ。が、たゞ、或時代に相伴うてゐた歌舞が離れ離れになって、舞ひばかりになり、歌だけになったものが多いやうである。さういふ点では、歌のはうが有利である。
雜多な變化もこれを保存し繼承することは、性質上わりに容易だったから、無理に殖えていったが、舞ひのはうは、どうしても早く固定する傾きが著しい。だから、舞ひは亡びないまでも縮小したものが多く、歌は舞ひから離れることによって増々榮えていったといふべき例が多いやうだ。一つは、替へ歌が無限に ―― と言へるほどできるからでもある。
舞ひが先に來るか、歌が前に起こるかは、二つながら別途の目的を持つものだから、おそらく、或点まで伸びて後、随伴することになったとみるのが本道だと思ふ。が、範圍を狭めて、相伴ってゐる歌舞においては、どちらが先、どちらが後といふことは考へられるはずである。第二次的には、歌が後、また、舞ひが後といふふうにも自由に起こってくるものであったらうが、初めの形においては、今のところ舞ひが先行し、歌を引き出すことになったと思はれる。
この事を「あそび」の例から考へてみるはうが都合よくはないかと思ふ。
只今存する『東遊』は、勿論後世的な要素が多く入ってゐるだらうが、その本來のものすら、平安中期以前に遡るものではない。東遊びを考へるには、東遊びの舞ひ自身ときはめて少ないその歌詞と、これに比べるに非常に豐富な内容を持つ「風俗」、東風俗といふべきものが慣用でさうなったことを併せて考へねばならない。風俗はかつて東遊びのための歌詞であったにちがひない。又、若干さうでないものがあっても、東遊びのために容易せられたものと見ることができる。だが、舞ひとその東遊びが固定するとともに、歌詞はたゞ謠ひ物としてのみおこなはれるやうになった。
かうした形が日本藝能、普通の姿だったとみえて、同じ事は神樂と催馬樂とのうへにもおこなはれたのである。神樂は、今も見るやうに神樂歌といふものを相当持ち、又、舞ひを失うても歌の語は存してゐるものもある。だが、神樂はなんとしても舞ひが先で、歌は後のものである。それは後世の姿でもあるが、同時に元來さうであるものらしい。
神樂のなかから純然たる謠ひ物として獨立したのが「催馬樂」である。これは異説も多いが、當然落ち着く所は、ここにあるはずだ。神樂のなかに含まれた風俗的分子が、次第に異常に發達し、包容が豐かになって遂に分離したのである。
「採り物」「韓神」についであった「大嘗歌」すなはち大嘗會に召された短歌形式以外の物の多かった一類が、大小前張として、神樂自體のなかにもすでに大きな區劃を作ってゐたのである。
これが取りだされて、能樂の拍子や聲色で謠はれ、次第に別殊な詞章を蓄積するやうになったものである。
神樂でみると、これまた神遊びとの名義上の問題はあるが、たいした障碍とは思へぬことである。神樂の字面は宛字で、これを「かみあそび」と訓むのが正しいのであらう。いはゆる神樂を「神遊」と書いた本もある。勿論、早くはさうだったに違ひない。
「かぐら」と言ふのは、或地方または或動機から發した方言的呼稱にすぎないらしい。
神遊びといふのは、「あそび」に神を修飾的に据ゑて神祕神聖味を帶びさせたといふふうにも取れるが、さうではない。神自身の呪的行動といった意義と思ふ。なぜなら、「神遊び」「神樂」に出てくるものは人間ではなく神(またはこれに相手するところの精靈である)である。たゞ、それが高い意味の神といふやうに、貴人の生命や家屋無難を呪するために、その人よりは下位にある神が出て祝福をおこなふといふ義を持つものと思はれる。