よまひごと、まよひごと。なやみあるがごとくに

{今日明日で五月が終る。このブログを(大いなる野望のもと)再開して早三ヶ月が過ぎた。本人としてはせいぜい「燃える車輪」となって「獅子吼龍吟」に努めてきたつもりであったが、淺學菲才の唯我獨尊、とっくに次のステージにステップアップのはずであったが、離陸もできないと云った感じで「なかなかうまくいかないもんだなあ」と小雨降る空見上げて、ツクネンとなってしまった。


ヨマヒゴト「つづけつづけて三ヶ月、サマヨヒゴトの散らし書きなり」

つくづくと自覺されけり、わがコトバ、狂言奇語の血マヨヒゴトと


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「ヨマヒゴト」柳田國男187562『毎日の言葉』1943昭和十八年より丸寫し


世迷言などといふ奇妙な漢字を當ててゐますが、無論、少しもアテにはなりません。
現在は、「何の役にも立たぬ繰り言、愚痴とも未練とも評せられる長文句」が「ヨマヒゴト」であり、または「たゞ老人などの、筋の通らぬ意見のやうなものを惡く云ふ」時にもこの語を使ひますが、これらもみな宛字の「迷」といふのに引きつけられて、少しづゝ意味を動揺させてゐるのであります。
起源がはっきりしないかぎり、内容の不正確は免れ難く、やがてはそのために使ふ人が少なくなって、忘れて江戸文學にまで註釋を必要とするやうな時代を現出する種になるかも知れません。田舍の言葉に注意さへしてをれば、今ならばまだ原因を尋ねる道はあるかと思ひます。是非とも殘しておかねばならぬといふほどのいい言葉ではないにしても、とにかくにこれに代はるべきものは他になにのですから、消えてしまへばこれだけはものが言へなくなる。その点が、私には惜しいと思はれるのであります。
ヨマヒゴトは、多分近世になって都會の人が作った單語でせうが、これを作りだすには、その一つ前に「ヨマフ」といふ動詞のおこなはれてゐたことを想像しなければなりません。今日のヨマフのおこなはれてゐるのは、東京の狹い地域だけで、それも多くは「ヨマアレル」といふ受身の形でのみ保存せられてゐるのですが、その心持ちはどこも一樣に「叱られる」または「小言を云はれる」ことがヨマアレルであります。
さうして、口ではあまり使はぬところでも「ヨマフ」が「相手方の小言を云ふ」ことであるだけは皆識ってをります。甲州などにはさうしたヨマフがあり、または「叱りつける」ことを「ヨマヒコメル」などといふ話もできてをります。ところが、信州に入って行くと「ヨマフ」もあるらしいが「ヨモフ」といふ人のはうが多く、越中の下新川郡あたりでも、やはりヨモフがあって「口説く」ことだと解説せられてをります。
私の識ってゐるかぎりでは、これから西の方にはもう例は見付かりませぬが、マヨヒゴトといふ語が成り立ってゐる以上は、元は江戸にも京都にも、このヨマフの動詞がよく知られてゐたのであります。ヨマフは中世以前にはまるでなかったちょっと珍しい言葉で、斷定することはまだ危險ですが、前のクドクなどの例から推して、私にはほゞその起こりを想像することができます。
クドクは御承知のごとく、町と田舍で意味がよほど違ってをります。
しかし、クドイといふ形容詞などもあって、人がクドクドと、またはクダクダシク物を云ふ行爲を、いとも無造作に「ク」を付けて動詞にしたのが、おそらくはその最初の形でありまして、踊りの語りものに「クドキ」と言ったり、求婚を「クドク」と言ったりするのは、それから再び轉じたものとみてよいでせう。
ヨマフといふ動詞もこれと同じやうに、なにか頻々と人が用ゐてゐた感動詞もしくは短句に「ヨマ」と聞こえるものがあって、元の意味が忘れられたといふことが考へられます。はっきりそれだとまでは私には言ひきれませんが、中國地方には今でも「ヨーマ」といふ語があるのです。岡山縣の淺口郡などの方言採集には「ヨーマ」は「無駄口」のことだと出てゐますが、その隣接地の備後の二三地方では「遠慮もなく人の惡口などを云ふ者」を「ヨーマタレ」と云ってゐるのみならず、婦人は今でも僅かばかり意外な言葉を聞くとすぐに「ヨーマー」と云ふのを口癖にする者が多く、現に私なども二三遍はさう云はれたことがあります。その語の感じはどういふことであるのか、廣島縣出身の方たちに思ひだしていただきたいのですが、私はこれを「ようもまあそんなことが云へる」といふ文句を、分かりきってゐるので省略したものと解してをります。
關東のはうでは今日では無論「ヨウマア」とは云ひませんが、それでもまだ古風なものの云ひ方をする人たちは「よくもまあそんな云々」と文句の中間に「まア」を挾むのが普通であり、今日も女の人たちが盛んに用ゐてをられる「マア」といふ間投詞などは、その大半がこれと同系統の、輕い驚きの感じを示してゐるのであります。東北に行ってみますと、この「まア」を「マヅ」「マンヅ」と發音してをりまして、これが「先づ」すなはち「何よりもこの点に心を惹かれる」といふ感情の漂白であったことが認められます。
人の物言ひや行爲を非難するために、以前はこの「ヨーマー」を機械的に、頻繁に用ゐる時代があって、それが「ヨマフ」といふ動詞を發生せしめたのは、京か大阪、とにかく西の方の都會地だったのが、すでに動詞になってから後に、段々と東の方へ普及してきたのではないかと私は想像してをります。群馬縣の北部では「ヤレル(云はれる)」、千葉縣市原郡では「コゴチャレル(小言云はれる)」、同君津郡では「ヨンマレル」等、どういふものか「叱られる」を意味する方言動詞が近世になって急に新たに増加してをります。
{太平樂の江戸時代に落語の「小言幸兵衛」のやうな、物知り譯知りの口煩い(柳田國男のやうな)年寄が増えたといふことだらう。たしかに、江戸時代は士農工商、すべての階層において文化教養の程度が廣がり高まった。町民と殿樣とが、學問とか趣味の世界で一種の平等性において交際してゐた。士農工商といふ身分制度は嚴格であったが、その一方では平等性の世界も成立させてゐたのである。