「ブリコラージュ&カタリ」つづけて「かたり&はなし」:『對のあそび』

「ブリコラージュ&カタリ」つづけて「かたり&はなし」:『對のあそび』for『思考と空想』


『野性の思考』の Levy-Strauss が作りだした bricolage ブリコラージュといふ語は、コラージュと重なるやうにして私に定着した。
寄せ集めたガラクタ(我樂多)を(思考と空想とを遊び働かせながら)切り貼りするやうにして自分用の世界を手作りしていく作業  ―― これが、私が『易と曼荼羅』の知識のもと(陰陽太極圖兩部曼荼羅などから)參考に工夫していった形式「 Art of Heart ∈ 思考 69 空想 ∋ Word of World 」の制作法にみごとに合致してゐた。


ガラクタの寄せ集めを組み立てて新たな價値を生じさせるブリコラージュの技法は、そのまゝ錬金術の方法でもあった。
ガラクタからガラクタでは話にならない。鉛を金へと變へてみせて、はじめて錬金術であり、ブリコラージュなのだ。

生成させたいと思ふ結果をできるだけ明確に空想思考して=設計して、ガラクタをブリコラージュ、アッサンブラージュして作業していかなければならない。勿論、生成の過程で豫想に合はなくなっていくこともあるだらうが、そこは「臨床の知」で、さうした現場の成り行きにしたがって、予定を柔軟に變更させていく。目的は、作品よりもその過程なのである。

かうして私によってブリコラージュ、アッサンブラージュされた「作品」なるものは、作者である私には意味があるが、他人にはガラクタを寄せ集めただけの構成物でしかないだらう。
おそらく、まちがひなく、正常なのはガラクタにガラクタを見るだけの他人であり、これぞ藝術だなどと「語って」ゐる私のはうが異常なのだ。だが、なかには私に「騙される」とまでは露骨に云はないが「誤魔化される」人も出てこないともかぎらない。

Bricolage の元になった動詞 bricoler には「修繕する、繼ぎ接ぎする」といふ本義の他に「誤魔化す」といふ意味もあるとあった。
誤魔化せれば、ブリコラージュ=錬金術は成功したといふことになる。
嘘も法便、鰯の頭も信心から、と俗に云ふ。あらゆる經文呪文からあらゆる種類の藝術にいたるまでその意圖するところは「誤魔化し」ではないか。眞善美などといふ價値は、所詮、人それぞれの價値「感>觀」でしかあるまい。
鉛は金にはならないが、鉛を金のやうに思はせる=価値轉換させることは可能だらう。それが藝術だ、神話だ、信心だ。
イエスをキリストだと信じるのも、ゴッホの生前賣れることのなかった繪が死後僅か數十年にして最高額となってしまふのも、鉛が金になった例だらう。
人は「眞實」と云ふ。だが、「實」の實態は「實」でしかあるまい。

ブリコラージュがひそかに意圖するところは「ゴマカシ」である、と私は喝破した。
ブリコラージュ=ゴマカシと極端化させつゝ、私の頭のなかには讀んだばかりの柳田國男の「かたり」と「はなし」の事が「重ねてみたら」といふ感じで思ひ浮かんでゐた。

私の場合、コトバにたいしてどうしても音韻的な連想が働いてしまふので、「語る」には「騙る」のニュアンスが色濃くつきまとふ。「語り」には「騙り」つまり「騙し」ダマシの影が連れ添ってしまふのだ。一方「話す」には「放す、離す」のニュアンスが、 ‥‥

柳田國男によっても、また岩波古語辞典によっても、「はなす」といふ語は近世以來のものであり、柳田によれば、日本人の閉鎖的な社界では「話は本來はなくてもすんだ」のださうだ。一方「かたる」は、ほゞ太古からの歴史を持ち、岩波古語辞典によれば「出來事を模して相手にその一部始終を聞かせる」こととある。その語りが次第に藝能化し、そのあげくが巧みに話しかけて騙す「カタリ、ダマシ」となった。

といふことは、「かたり」は元々神話と直結してゐて、すなはち、レヴィストウロスの ブリコラージュに等号で結んでもいいやうな「ごまかし」の技術ではなかったか。
「ものがたり」とは、モノ(具象抽象あらゆる種類の心像)を「眞實」化させるための錬金術、コラージュ&ブリコラージュ&アッサンブラージュであり、さうしたかたちで「信實」化させなければ人は眞善美の價値を感得できないのだ。
事実、この不信なる現代人も「かたり」「ごまかし」の、ブランドとそれにふさはしい値段の付いた偶像「神話」商品に取り卷かれ、さうしないと安心立命できないのだ。人は超人などにはなれない。

神を殺すべきではなかった、と私はおもふ。


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柳田國男187562『昔の國語教育』1937

五 話の發達

子供は今でもカタルといふ動詞を、群の遊戲に參加するといふ意味だけに使ってゐる例が多くの地方にある。
加擔などの怪しい漢字を當てるカタウドといふ語、もしくは男女の結合をカタラフといふ語も古くからあるのをみると、こちらが却って本義であったことはまづ疑ひがない。
さうすると、淨璢璃その他の語り物のカタルも、現在はすでに二つ別種の行爲のやうに考へかかってゐる者も多いか知らぬが、元はたんに二人以上集まった人のまへで隱すところなく、もしくは特に告げ知らせんがために敍述することだけを意味したものと解せられ、要点は今日云ふところの Publicity にあり、その藝術化は自然にして、しかもまた豫期せられざりし變遷だといふことができると思ふ。
最も大きな變化の動力に數ふべきものは、カタリの上手下手がはやく現はれ、従うてこれを專門とし、または職業とする階級が成り立ち得たことであらう。語部といふ部曲は、久しからずして朝家の制度の表面からは消えたが、その頃からこれを衣食の種にする者が、地方に分散していよいよその數を増加したやうである。自分等は現在もさほどの不便は感ぜずにこの都鄙新舊の二通りの職業者を語部の名のもとに總轄してゐるが、考へていると後者は領域が廣く、また年代の久しかっただけに隨分と大きな仕事をしてゐる。少なくとも我々の文學史の研究を混亂させてゐる。さうしてまた、民間の國語教育に若干の影響を及ぼしてゐるのである。
今でも明白に言へることは、彼等が常套手段とする莊重の句形、もしくは普通に使はれてない單語の集積、それをやゝ簡明に失する定式を以て羅列する敍述法などは、ともに民族固有であって個人の發明でなく、常民も依然として必要があるごとにこれを用ゐて殊なる感動、珍しい事實を言ひ現はさうとしてゐることである。默阿彌の脚本は好んで現代の市井事を題材とし、その描寫はおそろしく寫實であるが、なほ時々は主要人物に居住まひを直して七五調を語らせてゐる。これは芝居だから、また地語りの牽制を受けるからとも説明し得るが、尋常古風の老人のあひだにも少しく氣が改まると切り口上でないと物の言へぬ者が折々はゐる。演説講演などは新しいものかと思ってゐると、上手といふ人ほどワザは芝居に近く、聽衆もまた多くさういふ部分に感動するのである。
手紙が近頃まで男女の分かちなく、多量の定文句を以て修飾せられてゐたのもお手本の罪と言はうよりも、むしろかういふ規格ある語に依らなければ鄭重の意を表示し得られぬものとしてゐた久しい習慣の束縛であった。
辭儀とか挨拶とかいふ不可解な漢語が何時の間にか社交上にも用ゐられ、カタル自分にも説明し得ない幾つかの古風な文句が先づ口眞似を必要とするやうになってゐる。
文章を律語の桎梏から開放する努力は早くから試みられ、近頃に至ってほゞ完結しかかってゐる。
これに反して、口言葉の散文化は仕事が大きいためにまだ一部しか成功してゐない。兒童は殊に取り殘されて、いまなほ遠い昔のカタリゴトの形でのみ專ら彼等の友達と語らうとしてゐるのである。
 
ハナスといふ言葉が、この方式あるカタルに對立する一語として標準語では用ゐられようとしてゐるが、氣を付けてもらひたいのことは、日本の領土の三分の二以上にかけて、まださういふ動詞は知られてゐない。東北は一般にシャベルまたはサベル、西の方の田舍ではイフとカタルとを以て間に合はせ、中央部ではハナシスルといふのが普通で、天武紀に無端事とあるのが元だといふ。古人の説は私は信じないが、すくなくともハナシが名詞だったことは判る。ここに「話」といふ漢語を配したのは近代のことで、前には「咄」だの「噺」だのといふ和製字を當ててゐるから、すなはち新たに生まれた現象だったのである。
今日の心持からいふと、話のなかった時代などは想像もできぬやうであるが、一族一邑の心を知り合った者の間では意を通ずるのに多言の必要はない。珍しい敍述ややゝ重苦しい言明は、かねて用意した形式の整った物語で表現しなければならぬとすれば、話は本來なくてもすんだのである。
咄の者などといふ職業の記録に見えだしたのは、足利第三代の我が儘將軍などの頃からであった。それより古くはなかったとはもとより云はれぬが、本來は今日ジョウダンなどと變化してゐる雜談zaudanのなかでも、特に智巧を弄し聞く人の耳を悦ばせたものだけをハナシと呼んだのである。この内容は追々と擴充してはゐるが、今でも話半分だの、話にならぬなどのコトワザがあって、元の用法はまだ殘ってゐる。これにも誇張や虚誕が禁物のごとくなったのは、またよほど後の事のやうに私には考へられる。武邊咄と稱するものが士流の間に流行した時世には、そのハナシはほゞ前代の雜談と同じ意味までに近づいてゐた。
當の本人の作り話は勿論糺明せられるが、たんにこのやうな話を聞いてきた、またはかういふことを云ふ者があるといふだけの噂話の類にいたっては欠くべからざる一種であった。これはまァ話として聽いておいてもらはうとか、たゞさういふ話だよとか云って、責任を負ふまいとする風習は近世の所謂人情本にもよく見えてゐる。しかも、庚申待・日待・不幸の夜伽、あるいは寄合の後とか風呂貰ひの晩とか、さういふ話の需要は次第に増加してきたのである。世間話は現代の新聞の代はりともなって、散漫なる知識を冬の炉端に供給してくれた。話を言語生活の重要なる一部分のごとくに認めるに至ったのにも理由があり、それがまた自然でもあった。たゞ、これを原始以來のわが國の風であったと思ったら誤りだといふだけである。
古い姿のハナシもまだ殘ってゐる。私等は特にこれを昔話と呼んで別にしてゐるけれども、大抵の子供はハナシと云へばこればかりと思ってゐた。さうして、成人のあひだにも近い頃まではこれが普通の話であっても、世間話や噂話といふものも、それぞれにその「話」の影響を著しく受けてゐる。
たとへば、普通にゲナといふ語を添へていふために、西部日本ではゲナバナシといふ名もあり、他の地方でもダサウナまたはトイフ、東北ではトゾの名殘かと思はれるアッタゾンを付けるが、これがまた昔話だけでなく多くの世間話にも共通の敍法であった。つまりは眞實を請け合はれぬといふ意味である。ウソから知れぬからそのつもりで聽けといふ趣旨である。かういふ形で空想の文藝はその後大いに民間に榮えたのである。
話を眞實の歴史のうへにまで延長しようとするのは、惡いことではないまでも新しい現象であった。
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岩波古語辞典より

かたり〈カタは象り、型と同根〉原義は「出來事を模して相手にその一部始終を聞かせる」、類義語のツゲは「知らせる」、イヒは「口にする」、ノリは「神聖な事として口にする」、ハナシは「お喋りをする」で室町時代以降使はれるやうになった。①出來事をありのままに相手に聞かせる。②筋のある説話などをする。③音樂付で筋のある話をする。④巧みに話しかけて騙す。【名詞】①語り傳へ。②謡曲で、おほむね散文調で物語ること。③騙・衒と書き、他人を騙して財物を奪ふこと。 
はなし ①お喋りをする。雜談をする。②遊女を買ふ。「話伽」側に居て話相手となる者。「咄の衆」安土桃山時代以來の職制で將軍大名などに近侍して話相手を務める學識と頓才ある者。「咄本」笑話落語などの本。

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