「日本人は貧しい、だが高貴だ」:『日本人への遺言』

○Paul Claudel「日本人は貧しい、だが高貴だ」『日本人への遺言』

Paul Claudel 186855 
1868年にフランスに生まれた彼は、十九歳の時にマラルメに私淑、入門(そこで Paul Valery とも知り合ひ)、二十二歳の年には外交官試験に合格した。外交官となった彼は、アメリカを皮切りに中國など世界中を轉々とし、1921大正十年、駐日フランス大使となって着任、1927昭和二年まで在任した。
外交官となっても現役の作家であり續けた彼は、日本についての感想をまとめて『L'Oiseau noir dans le Soleil levant 昇る朝日のなかの黒い鳥』といふ印象深い題名を付けて本にした。そこには、日本人にとっては異質な感覺による日本についての本質を衝く觀察、といふよりも深く「洞察」がなされてゐる、やうに私には感じ思はれる。彼は駐日大使といふ特權的立場もあって、日本の奥深い所まで現場において經驗ができた。その在任中に關東大震災も遭遇し、大正天皇の崩御にも際會した。さうした日本經驗を持前の詩人的直感と直觀によって、日本についての獨特でしかも本質的な洞察に仕上げたのであった。

{天皇にかんする部分だけを紹介 ――
 日本の天皇は魂のやうに現存する。彼は常にそこに居るものであり、いつまでも居續けるものである。それがどのやうにして始まったのかは正確には知られてゐない。だが、それがいつまでも終らないであらう事は誰でもが知ってゐる。
彼は介入しない。民の問題に労働者のやうに口を差挟みはしない。だが、そこに彼が居なければ物事はそれまでのやうに立ち行かなくなるであらう事、忽ち物事が頓挫し、逸脱してしまうであらう事は知られるとほりである。
天皇とは、際限なく續きながらも、永遠に繰り返しのない樂音であって、別の樂音がそれを耳にして一時的にでも變奏したり、同じ音を續けたりするのを妨げる。
天皇は、自分はいつまでも留まるものであると同時に、他者には變化するよう強制するものであり、また、數々の轉變と時代を横切って、あらゆるものを根源に結びつけ、永遠に死んではならぬといふ義務を國家に押付けるものである。
 このやうにして明治天皇の、太陽の天子といふ稱號がそれまでの無名の状態から ‥‥ 
{ 離日の準備をしてゐた矢先の一九二六年十二月二五日、大正天皇崩御の知らせを受けてクロウデルは滯在を延期、翌年の二月七日と八日の葬儀にはフランス代表特使として列席した。
 死の使者たちがかなりの距離を置いて一人また一人と、白木の鳥居の方へと進んで行く。鳥居は、最後の一つが月を取り圍むやうに幾つか並べられてゐる。
幾臺かの巨大な靈柩車が四頭の夜の動物に引かれて來る。動物の叫びや苦しげな車輪の軋みは、神道に用ゐる笛(時折鼓の張りのある深々とした響きを伴ふ)の音に引き繼がれ、長く伸されてゐるかのやうだ。
そして、、笏を手にした三人の弔問者の後から、あの篝火、あまりにも明るいために雪が燃えてゐるのではないかと思はれるやうな大きな篝火が、次いで、祭壇の後に、あの世の巨大な車が引かれてくる。
そして、召使が長い列をなして、嚴肅な死者に最後の生の食物を給仕する。
勅書が讀まれ、深々と御辭儀がなされる(時々彼方から凍てついた夜のなかで青銅の薄板の鳴る音がする)。
次に、完全な沈默。そして、劈くような喇叭の音が聞え、全員が頭を垂れる。近衛騎兵のファンファーレが鳴り響き、大砲の音が聞えるが、夜の緘默にほとんど聞取れない。 ―― そして、終はり。
 私にしてみれば、すべては清淨と寒冷の印象に要約されるものであった。
 
 私は日本人の心についての研究をものした事があるが、その頃には、日本人の心の特徴は畏敬の念だといふ氣がしてゐた。だが、その觀念にもう一つ、清淨といふ觀念を附け加へるべきであったかも知れない。これは、神道の倫理の一切をなしてをり、他のいかなる國民にも日本人に匹敵するものは見出せない。
 死さへもが至上の淨化として存在するのだ。この点からすると、凍てつき、星々が空を埋め、地上は雪で覆はれてゐるこの夜ほど帝を埋葬するにふさはしい死衣はなかったのかも知れない。
 
 殊の外私が感銘を受けたのは、食物の儀禮の部分だ。食物が祭壇に並ぶまで、列席者が次々とそれを手渡し、また、同じやうな儀禮を經て、それらを持ち歸ってくる。こゝに、世代から世代へと傳へられていく生命の象徴を見るべきなのであらうか。それとも、死者と生者の交感を見るべきなのだらうか。 
 一切が見事な秩序で定められてゐるのだ。思ふに、世界の他の如何なる國においても、何千人もゐる一人一人の参加者がこれほど完璧に一つの役を果し、しかもその役が參加者自身に染込んでゐるやうな宗教的、愛國的な儀式は見られないであらう。 
 新天皇をはじめとして、皇族や貴顯から臣民にいたるまで、旅立つ主君に額づくために日本中が動員されてゐるのを私は目の當たりにしてゐるのであつた。
これが私の日本の最後の印象である。これなくしては、私の印象はこれほど美しくも莊嚴でもなかったであらう。 (一九二七年二月)
一九二六年七月に二条城を訪問したが、その印象に基づいて詩的感興を脹らましたものであらう。
 天皇は帝國を治めてはゐない。それに耳を傾けてゐるのだ。天皇は横からの光のなかに座して待つ。彼の住まひは雲と同じほどに白い邸の直中にあって、彼のまはりでは滲み一つない紙に鳥獸や草木、水などの純粹な圖柄が際限なく繰り返されて描かれ、不純なものを祓ひ淨めてゐる。
障子が半ば開かれると、彼は、隙間から神々が海の中にある日本の國を見るやうに、そして、人々が床の間に盆に載った山の茂みを置くやうに、廣大である同時に小さくもある庭園を一瞥する。
江戸では、彼の副官である將軍が世俗的な日常の實務をとり仕切ってをり、 ‥‥ 

このクロウデルがフランスに戻ってゐた時、第二次世界大戰さなかの昭和十八年、或夜会でのスピーチで、
私にはどうしても滅亡させたくない民族があります。それは日本人です。あれほど古い文化をそのまゝ現在に傳へてゐる民族は他にはありません」と云ひ、そして、最後にかう附け加へた「日本人は貧しい。だが、高貴です

そして、敗戰後の日本人は「貧しくはない。だが、高貴でもない」どこにでもゐる民族になってしまった。

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{日本の事を語ったクロウデルについては、日本の心をつたえる会 : 身近な発見 などが參考になります。