「廣隆寺の牛祭」集語


↑ Art of Heart ――――――――― 思考 69 空想 ――――――――― Word of World ↓


{京都、太秦の廣隆寺(あの有名な弥勒菩薩のある廣隆寺です)でおこなはれてゐるといふ「牛祭」、といふより、日本畫家が描いたこの繪自体の異様さが心に焼き付いてしまった。
{そしたら、或種「シンクロニシティ」と云った感じで(『きよきまなじり*つよきまなざし』のために読み続けてゐる)折口信夫の全集に「廣隆寺、牛祭」についての記述と遭遇した。「眞陀羅神の牛祭」なるものの、日本祭禮でのその位置を示すためにも、前後の文章を含めて紹介する。

○折口信夫『日本藝能史序説』(1950昭和二十五年)より

 ‥‥
さうした神々から云ふ訣だから、高位の神々も我々に祝福に來るといふふうに錯覺を持つやうになった。勿論、デモン・スピリットにいたるまで、以前自分たちを屈伏せしめた家の主人やその家を守り、祝福に來るといふ信仰が、日本の村にはまだ濃厚に殘ってゐる。

神々が祝福に來るのは、村や家ばかりではない。寺や社(宮といふ家)にたいしても祝福に來た。寺は、日本の生活に入ってきたのは、歴史時代になってから時を經た後であるが、それでも我々の歴史からすれば古い昔である。だから、ほとんど個人の大きい家と變はりない。
やはり、社とともにその土地の精靈たちを追ひ斥けて、土地を占有したのだといふ考へ方から、家と同じやうな理由で、これを取り圍んでゐる聖霊から祝福を受けることになった。

この證據は、寺の場合には、地主神とか地主jishu權現とか、また伽藍神などと呼ばれる神が、寺の地内に祀ってある。これは、その土地の先住者として元から居た聖霊をさうして祀って、齋き鎭めたものである。寺の佛にたいして、服從を誓って、その時から仕へ始めたものと考へてゐるのである。時によると、これを鬼のやうに考へて、夜叉神とか羅刹神とか呼んでゐる。

京都の太秦の廣隆寺に附屬して、摩陀羅神が祀ってあり、牛祭の際にはこの神を先頭に、眷屬の神々(鬼のごとき異樣のもの)も牛に乘って隨ひ(今では牛に乘らぬのが通例になったやうだ)寺に練りこんでくる。そして、寺の本堂に到って祭文を讀みあげる。

これは、廣隆寺の立つ前からゐる聖霊を「摩陀羅神」と呼んで、それが一年に一度、寺の佛を祝福に來るものと定めてゐるのである。

社のはうにもその例はある。
たとへば、大和猿樂の重大な爲事は、その翁が春日の大宮・若宮へ、祝福に參ることであった。春日驗記』などを見ると、それが位置の高い神だといふやうな印象を受ける傳説を書いてゐるが、さう傳へたこと自體がもうよほど變化した形なのである。この翁も、元はさういふ意味から顯れたものに他ならない。

ともかく、野山の聖霊が、家やその主人を祝福に來るといふ考へは、日本の藝能のいたる處に見ることができる。その最も極端な例は田樂に見ることができる。田樂は猿樂能より少し前に榮えた藝能で、猿樂が興隆してくるにつれて、竝行して行はれてゐたが、やがて、その面白い部分を猿樂に吸収せられ、江戸の初めになる頃には事實上亡んでしまった。その末の固定したり、分裂したものは、今も地方に多く見ることができる。この田樂にやはり翁がある。
  ‥‥ :
{インターネットを検索してみると、「牛祭」の紹介記事がいくつもあった。二つほど挙げておく。

・太秦「牛祭」の由来 
・広隆寺の牛祭り

{實際には、こんなふうらしい。