サムライ好きな現代日本の男性諸氏におくる狂詩曲:『比喩と揶揄』

サムライ好きなる現代日本の男性諸君におくる狂詩曲for『きよきまなじり*つよきまなざし』

{草稿未完、後々推敲します。本來の書き物に時間を取られ、時間に迫られての俄、ヤッツケ爲事。今朝取り立ての、ドロの付いたまゝの草稿状態ですが、ま、カネいただいての売り物でもなし、御笑讀、一興いただければ忝なし。

どうして「サムライ」なんかに憧れるのかね。サムライの意味、識ってゐるのか。
サムライサムライと(カミカゼにかはって)日本男兒の理想の象徴のやうに「ジャパン」に添へて歡呼絶叫、世界に響かせて強がってゐるが、
サムラヒ、本來は「侍ふ」者の事だ。主君に仕へる從者のことだ。主人持ちの飼ひ犬根性だ。その理想と現実との乖離、ギャップを識りたければ、ちょっと江戸時代のことでも調べてみなされ。
それを、侍=一騎當千、武藏のごとき英雄武士と勝手想像 ――― だがね、武藏なんぞは(宗矩のやうには)武士になりきれなかったんだぜ。

そんな近世時代の契約社界の肩苦しいサムラヒなんぞではなく、オリジナルなる古代日本のヤマトヲノコのモノノフにでも憧れてみたらどんなもんだい。

モノノフとは「モノ」の「夫」、モノのオットじゃねえぜ、モノのヲノコ(古代日本語で男の事)といふことだ。
使はれていくうちに「武者武人」のことに限定されていったが、「もの」といふそのコトバの元を辿り探り行けば ―― モノとは何か、モノとはモノノケ「物の怪」のモノ、モノは日本語の思想=思考と空想のタカラチカラ、母胎となり中樞となったコトバコトダマであり。ヒトの意識と精神が周圍に感知し認識しうるものすべて、氣配ふくめて彼を取り卷くすべての實態なるものをさす。具体的な物體の場合もあれば、抽象的な氣配にたいしても使ふ。だから、日本語の何にでもこの「もの」が付く、憑く、attach する、penetrate する。ものいひ、ものいみ、ものいり、ものいろ、ものうし、ものおぼえ、ものおもひ、ものかき、ものがたり、ものがなし、ものぎは、ものぐさし、ものぐるはし、ものぐるひ、ものごし、ものざね、ものさび、ものし、ものしり、もろしろ、ものずき、ものすごし、ものつき、ものづくし、もののあはれ、もののかず、もののぐ、もののけ、ものさとし、もののじゃうず、もののな、もののふ、もののべ、もののもと、ものふり、ものみ、ものめで、ものものし、ものやみ、ものゆゑ、ものよし、ものわすれ、ものわらひ、 ‥‥ ものものづくし、ものつくせず、もはや、もはら、もだす、とするか。
つまり、だ。

怪物となることだ。人に仕へず、神に仕へる。惡魔のやうな天使となるのだ。
モノノフとなって、この得體の知れぬ怪物と化した人間世界と挌鬪するのだ。天使たちよ、惡魔のごとく

深淵を覗きこむ時、怪物と對決する時、みづから怪物にならぬやう氣を付けろ、と老婆親切にもニーチェは忠告したが、
なんだ、この煮えきえなさの物足らなさは、ニーチェらしくもないモノザトシ、そんな呑氣な氣遣ひしてたら、ミイラ取りがたちまちミイラになっちまう、魅入られるごとくバケモノモノノケへと消化されてしまうよ。なんでもかんでも消化してしまうんだ、この世の中は、すべてがすべて Show & Sell と化したこの世界では。たちまちに消化されてしまふ。

怪物と取り組むには、怪物となるに如かず。

怪物以上の怪物となって、死にモノグルヒにクルクル舞って、神出鬼沒の跋扈跳梁、獅子身中の虫となっての獅子奮迅、一射絶命、一撃必殺、闇雲に切り裂く虹の劍の舞、アシュラ童子のモノノフとなって、腹割きさばいて(怪物の腹だよ)教王護國のサキモリ隆盛、ヤマトヲノコの櫻花となったらどんなもんだい、ねえ勝さん。

目には目を、齒には齒、マラにはマラって云ふだらう。怪物には怪物、深淵には深淵の向かひ合はせのマソ鏡、ガマのアブラをしたたらせ、毒氣をぬいて精氣注入、こんな日本はウロのタイボク、
一夜明ければハゲ山の白日青天、破壞はすんで創造の時ぞ朝來る、赫奕と

(未完





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