日想觀「永遠と一日」『やまとまほろば』寧樂篇

2010/0514 『やまとまほろば』寧樂篇「永遠と一日」

私は、折口信夫188753が、日本が敗北することになる戰爭を始めた頃に作った『死者の書』が、明治以降の近代文學のなかでの最高傑作だと思ってゐます。
ついでながら書いておけば、当時少しの反響も得られなかった折口のこの自信作を堀辰雄が評価して、二人のあひだに交際が始まります。{いけねえ、堀辰雄の事をすっかり放ったらかしにしてしまった。彼の作品は好きでないといふか、その文章がイライラしてくるほどハッキリ嫌ひなんでね ‥‥

折口信夫が自作の『死者の書』の制作動機などを記した『山越しの阿彌陀像の畫因』(どちらも青空文庫にあり)に、
佛教の『觀無量壽經』にある「日想觀」と、本來日本人が持ってゐた太陽信仰(そして山岳信仰)との関連を指摘したところがあります。それらが融合融卽するかたちで、「山越の阿彌陀來迎といふ日本淨土教の來世救濟信仰の圖式ができていったのだと。そのなかで「日想觀」を説明して、


 ‥‥ 觀無量壽經に、「汝および衆生まさに心を專らにし、念を一處に繋けて、西方を想ふべし。云はく、何が想をなすや。おほそ想をなすとは、一切の衆生、生盲に非るよりは、目有る徒、皆日沒を見よ。當に想念を起し、正坐し西に向ひて、日をあきらかに觀じ、心をかたく住せしめ、想を專らにして移らざれ。日の歿せむとするや、形、鼓を懸けたる如きを見るべし。既に見已へば目を閉開するも、皆明了ならしめよ。是を日想となし、名づけて、初觀といふ。」さうして水想觀・寶地觀・寶樹觀・寶池觀・寶樓觀と言ふふうに續くのである。 ‥‥

春日、落日の赤光に輝いては翳る藥師寺の新旧の兩塔を大池越しに撮影してゐるうちに、折口信夫のこの文章が思ひ浮かび、
大池越しに宝楼に反映する日光を見詰めてゐるのだから、これらの觀想をひとまとめにしてのだとおもはれてきて、

この落日の赤光に燦然たる寶塔を一心に見詰めよ。
その凝視、すなはち、日想觀にして水想觀・寶地觀・寶樹觀・寶池觀・寶樓觀を兼ねたり。
その時、汝、涅槃寂靜たり、極樂往生たり。


と、
 觀想的、瞑想的氣分になりゆきながらカメラのファインダーを覗き続けてゐました。



家に歸り、モニターにディスプレイして、照明を消し、私にとって最も天國的な音樂の一つである Gustav Mahler の交響曲第五番の第四楽章「Adagetto」を伴奏させたりして、何度も何度も、まさに「涅槃寂静、極楽往生」の時間を過ごしました。
   よろしければ、そのお裾分けです。

兩塔の背後が若草山で、兩塔の間に見えるのが興福寺の五重塔です。左には東大寺の大佛殿も見えます。

現在、藥師寺の東塔は解體修理中で、こゝ數年は拝望することはできません。


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