強力なるマクシム「猫の手は借りられぬが ‥‥ 」

{創作邁進中。よって即興、書きっぱなし、読みっぱなせ。
{ついでながら、タイトルの「強力」は「ごうりき」と読んでください。

「猫の手は借りられないが、猫のは借りられる」

昔々、箱根の別莊地で独居をしていた頃、黒猫Alone Together の生活を營んでゐた。
独身者の一番の面倒は食事であった。食事はまあいいとしてその前後、作ったり後片付けの面倒。特に後片付け、アブラ汚れの食器洗ひが。その時、勝手口をカリカリと、遲れて歸ってきやがって、メシくれとまとわりついてくるのに、手は濡れてるし、「これでも舐めてろ」と思はず炒め物の油脂がベットリと殘った皿を床に置いてやった。
水仕事が一段落して、「エサか」と見ると滿足げに舌舐めづりに毛繕いを始めている。
皿を取りあげてみると、まるでピカピカ、一流レストランのコック見習ひが洗ったやうな、私が食器のすべてを洗ひ直さなければならぬと思ふほどの光沢を磁器は取り戻していた。これに見取れてゐるうち、
ハタとして私は「猫の手は借りられないが、猫の舌は借りられる?、!」とユレイカしていた。
次の時、私はフライパンも彼に任せた。アブラ汚れがなければ洗ひ物は簡單だ。洗剤も使はないですむ。革命的なほどの、台所爲事の改善となった。
どうして、今までこんな簡單なことに氣付かなかったのだらう(と気付いた後では誰でも必ずそう思ふ)。猫に自分の食ひ物を分けてやることはそれこそ日常茶飯事だったが、その時にはわざわざ小皿を出してきて小分けにしてやっていた。それを食ふと皿まで舐めて、さっさとどっかへ行ってしまふ。その皿を洗ひながら「チクショウ、めが(精神の貴族を下男に使ひやがる)」といつも思ったものであった。
この發見といふか發明といふか、「ユレイカ!」のおかげで、その後の私の食生活は劇的に改善、でなければ合理化されたのであった。
それからは、アブラ汚れの食器洗ひは猫の担当となった。そのために、私のほうの食事も合理化して、一食皿一枚主義、猫がゐない時に食って、汚れた皿とフライパンを台所の隅に置いておく。そして、次の食事の時にそれを洗ふ。
猫には、べつに不滿はなささうであった。働かされてゐるとも知らずに働いていやがる、と一心不亂の猫の姿に、さすが人間さまの知恵の勝利と(珈琲を啜りながら)私はおほいに滿足、悦に入った。
かうして、
私は台所での作りながらの立ち食ひ(猫食ひといふのか)をすっかり覺えてしまった。
食ひ物はますますおいしくなった。

啓蟄や からだはかゆし、はるちかし



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二月三月の頃には、海抜千米に近い箱根あたりにはよく春の雪がどっさりと降ったものであった。
朝になったらすっかり白銀の世界に一変といふことも何度かあった。
このビデオを見て(勝手口の感じがまるでそっくり)、おかげで昔の事を懷かしく思ひだし、そして、もっと懷かしく飼ひ猫の事を思ひだしてゐた。