東大寺「お水取り」の日:『やまとまほろば』永遠と一日

2013/0312 日録

東大寺「お水取り」の日:『やまとまほろば』永遠と一日

午後、まさしく「春日」日和の暖かさに誘はれて、春日野の方へバイスクリング、何日ぶりの外出だらう。三月になってからは今日が初めてだ。

大寒や釋迦も達摩も修行中」と嘯いて、この冬はずっとわが(子宮にして玄室の)獨房に隱りきり、蓑虫状態でわが思想=思考*空想を紡いでゐた。

出所した時はこんな氣分なのだらうか、足元がすこしおかしく、ちょっとオテントサマがまぶしい。
 

重たく自轉車を漕いで、昔、大乘院があった所の交差点に來て、奈良ホテルの方へ登って行くと、古都奈良に來たといふ氣分になる。
奈良ホテルに宿泊した、『古寺巡礼』の和辻哲郎や『大和路』の堀辰雄、それからこのホテルで新婚初夜を迎へた白洲次郎と正子などの事を思ひだしながら、
そこを過ぎて下り行くと荒池、 

こゝから眺める御蓋山は奈良=寧樂「八景」の一つに數へてもいいかも知れない。私は數へてゐる。

平城京の時代、留學生に択ばれて唐に行き、そこで出世して祖國に還られなくなった安倍仲麻呂が遠く遙かな故郷を懐って詠った、

  天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
を思ひ描くに最適の場所だらう。


それを過ぎるとすぐ春日大社の赤鳥居、そこから入って奈良國立博物館へ近道をする。
影向の松に通りすがりで遙拜し、その裏に点々と廣がる茶屋「江戸三」に若き苦惱の小林秀雄を思ひだし、
裏口からといふ感じで博物館の敷地へと入って行く。

博物館では、毎年恒例の「お水取り」展をやってゐた。
今日、三月十二日はそのお水取り=修二會が最高潮となる夜だ。

向かひの氷室神社は、紅白の梅の滿開であった。この神社は櫻、奈良で一番先に咲くといふ大きな枝垂れ櫻で有名だ。私も何度か撮影した。それはそれは見事な垂れ櫻だ。

 
東大寺の、大佛殿への參道は、観光客で雑踏となり、自轉車は押して行くことになった。
修学旅行の喚聲と外國の種々のコトバが飛び交ひ、今も昔も奈良は国際都市だなと思ふ。



南大門を過ぎた所に、新しく「東大寺ミュージアム」が建てられた。そして、そこで現在改修中の三月堂こと法華堂の「日光菩薩・月光菩薩」が展示されてゐる。それに、最近確認されたといふ光明皇后が亡き聖武天皇のために大佛殿に納めたといふ「陰陽」二本の劔も展示に加はってゐるので、東大寺の年間会員券を持つ私は見に入る。

東大寺の年間會員券を入手したのは、東大寺の有料施設、このミュウジアムや大佛殿、三月堂、戒壇院などへフリーパスとなるからであった。
去年の今頃は、盧遮那佛の大佛をかつてない手法で撮影してやらうと野心に燃えて、年間會員券を入手したのであったが、結局、その頃が野心の絶頂期で、 大佛は本氣になって撮影しようとすると、たゞ大きいだけのあまり出来のよくない佛像にしか見えなかった。 

大佛殿は平家の平重衡の兵火で焼け落ち、その時、大佛もほとんど燒け溶けてしまった。それを再建したのが俊乗坊重源であった。その後も、戰國時代の梟雄、松永弾正によって炎上させられ、江戸時代に入って公慶上人によって復興、この時に今の大佛さんとなった。

ライティングなど自由にできるのならともかく、野心だけではどうにも齒が立たず、見上げるだけで、いつも殿内を一周して出てくるだけだ。





すでに閉鎖時刻の五時に近い。大きな扉が締められるのを眺めて、外に出る。
と、そこにはパトカーが待ってゐた。

手向山八幡の大鳥居の所にパトカーを止めて、屯する數人の警官を見て、何事だ?!事件かと邊りを見廻すと、人々の往來に異變はない。
暫くしてから「あ、さうか、お水取りか」と聲を口に出して、氣が付いた。

お水取り=修二會は、正式には「十一面悔過法」と呼ばれ、その縁起によれば、東大寺を開山した良辨068973の弟子であった實忠が笠置山中で修行してゐた時に、夢に兜率天に至り、そこでおこなはれてゐた十一面觀音の悔過行を見て、これを地上でもおこなひたいと思ひ願ひ、しかし天界の兜率天と地上とでは時間の進行が異なるから、天界に合はすべく何事も急ぎ足で行ずることとした。精進潔齋した練行衆が慌ただしく走り囘り、孟宗竹の先に付けた松明を振り囘す。
このどちらかと云へば「火祭り」がどうして「お水取り」と呼ばれるかは、こゝに日本の神樣が噛んできて、長い話になるからこゝでは止める。

良辨とか實忠とかは、わが『きよきまなじり*つよきまなざし』の主人公である祟道天皇こと早良法親王と深い關係があるので、わが讀者たらんとする人は記憶しておいてもらひたい。

お松明は夜の七時からだが、二月堂に登り行く人の數がすでに物凄い。現在、五時を過ぎたところ。私は少し囘り道になるが、手向山神社の幅廣い參道をゆっくり登りながら、芭蕉の有名な
    水取や籠もりの僧の沓の音
を弄くりまはしてゐる。 石段を登りきり、その高みから參集してくる善男善女を見下ろして、

      水取や」俗人急ぐの音。それもきこえぬ、にぎはひのよひ
それから、三月堂のはうから会場の二月堂へと行ってみたが、すでに立錐の余地もないほど滿員御禮状態であった。
これから二時間あまりも身動きもできない立ちん坊でぢっと待つんだから日本人ってすごいな、とすごすごと諦めて、歸途に就く。

參道に沿った森に入って下り行く。こゝに巨大な七重の東塔が立ってゐた。 東西に二本、大佛殿=金堂とともに完成したが、西塔のはうが先に燒失し、東塔は例の重衡の兵火で焼尽、その時は復興されたが、雷火により再び燒失し、以後は再建されなかった。




私などには、このやうな「あるかなきか」の跡地のはうが古代を髣髴とさせてくれる。名所旧跡の地に佇んで、歴史の旅人、タイムトラヴェラーになるのである。 



樹間を照らす落日は黄金色から深紅の寂光へとよわまりゆき、そこに靈氣神氣とでもいったものが幻想され、私は或種のエクスタシイに浸りゆく ‥‥
そして、氣が付けば光は消えてゐて、ひろがりゆく闇のなかに茫然と佇んでゐる ‥‥

歸り道、飛火野でも御蓋山に佇んで、涅槃寂靜、淨められた氣分で、わが修羅場の獨房へと ‥‥





Art of Heart ―――――― 思考 69 空想 ―――――― Word of World