新珠三千代の事「アラタマミチヨ*タチバナミチヨ」の造形のために

2013 0210

新珠三千代の事「アラタマミチヨ*タチバナミチヨ」の造形のために

(特別付録
タチバナミチヨ、アラタマミチヨ」繰り返し早口で稱へてみてください
タチナバミチヨ、アラタナミチヨ
(日本純粹、生粹の眞言&言靈のチカラタカラが実感されてくるでせう 


『きよきまなじり*つよきまなざし』の作者となった私にとってなんたる偶然、なんたる奇遇であらうか、
奈良を舞臺にした物語の紅一点、アニマヒロインである橘三千代に扮させたる新珠三千代はなんと大和の國、奈良県奈良市、しかも奈良市の中心とも云ふべき小西町(今の近鉄駅前の邊り)でこの世に生を受けたのであった。

彼女を、その「アラタマミチヨ」の藝名ゆゑに、わが物語『かなしむちから』の「タチバナミチヨ」橘三千代役に抜擢した時、私は彼女についてほとんど何も識ってゐなかった。彼女がすでに逝去してゐたことも識らなかった。
無論、拔擢とは云っても、その風姿、容貌をわが橘三千代の造形のために彼女の容姿を拝借するだけのことである。

彼女の映画は子供の時から何本か見てゐた。黒澤明の映画を見る時に併映されてゐた森繁久彌などが出てくるくオアチャラカ社用族喜劇のツマとして出てゐたのが、新珠三千代を見た最初であったやうに思ふが、
その彼女の容姿を「私好みだな」と意識したのは、ずっと大きくなってから見直した小津安二郎監督の『小早川家の秋』での彼女あった。彼女が宝塚を止めて映畫界に入った頃に、私の大好きな『幕末太陽傳』を攝った川島雄三に使はれた彼女の映画は見たいのだけど、まだ見てゐない。もう見なくてもいいとも思ってゐる。

他にも、平安朝時代の格好の『怪談』や江戸時代の武家の妻女姿の『大菩薩峠』だったっけ、仲代達矢が主演したもの。それに同じ仲代達矢が主演した『人間の条件』の相手役、これは現代物だが、それほどの印象は私にはない。


私が彼女に着せようとしてゐるコスチュウムはもっと古代の日本、飛鳥から奈良時代のヒロイン、あの藤原不比等に天下を掌握させた日本一のアゲマン、のみならず、おそらく日本の歴史上においてもっとも傑出した大立者の政事家と私がひそかに評価して、その評價に基づいて造形しようとしてゐる橘三千代であった。この古代の頃に數ゐる才女のなかでも、額田姫王に優るとも劣らぬ、いや、おそらく額田姫王よりも上の(なぜなら、額田姫王は晩年凋落してゐるから)の女傑であった。
彼女は最初、王族のもとに嫁ぎ、諸兄と佐爲といふ兄弟を生み、その後、不比等と不倫の關係となり、彼のために光明子といふ聖武天皇の皇后、平城京の天平時代を象徴する名花を生み、藤原氏の繁榮の基盤を夫唱婦隨で(実質は逆だったらうと私は推測してゐる)成し遂げて、大往生を遂げた、まさに女傑と呼ぶにふさはしい人であった。しかも、額田姫王のやうに華やかに出しゃばらず、佛教を篤く信仰し、たわやかな、しとやかな、しかし時折キラリとケモノの眼差しを光らせる女性であった。
こんな彼女に似合ふ女優は(まあ女優でなくともいいんだけれど、私は女性體驗が豊富ではないので)新珠三千代以外には考へられなかったのである。


私は生まれた時代から云って、「映画の子」であった。映画の全盛期に幼少年期を過ごした。その頃は日本映画だけでも數社があり、それらが三本立てで週變はりと云った感じで映画を大量生産してゐた。それに、外國の映画が加はる。
おそるべきことに、今映画史を振り返ってみると、私はその大半の映画を見てゐたことに気付かされた。
オヤヂは主に東宝の黒澤明で、オフクロは松竹の小津安二郎であった。今だからさう思ひ出されるのだらうが、もっと雜駁にチャンバラ映画の東映も、なにやらイヤらしい大映映画も、裕ちゃんアキラの活劇日活映画も、得體の知れぬ新東宝も、アメリカんムービーもヨウロピアンシネマも、なんでもかんでも見てゐたのだった。

当時の銀幕の綺羅星のごとき女優たち、その多くが宝塚出身だと識ったのは、新珠三千代をWikipediaで調べてからであった。
そして、その記事で、彼女が奈良市の小西町に一九三〇年、昭和五年の一月十五日に誕生し、十三歳の時に宝塚を目指しその學校に入り、日本敗戰の年、昭和二十年に十五歳で宝塚に入団し、約十年間在籍し、ヒロイン役を演じて、二十四歳の時に退團した後は映畫界に轉身、最初日活、續いて東宝の專屬となった。生涯獨身を通し、公私の區別に嚴しく、その私生活は彼女自身によって祕密に保たれ、神祕を漂はせつづけた。
私は愛する者(愛したい者と云ったはうがいいか)の事實をあまり知りたくない。識れば幻滅するはうが多いだらうと思ふから。
だが、彼女は違った。識ることによって、私は彼女に(私の直感は誤ってゐなかったと)満足し、さらに魅惑されていった。
橘三千代に扮させた新珠三千代は私の巫女、神女となっていった。
シスターアニマならぬ「シアターアニマ」、純粹に形象的なアニマ、見詰めることによってチカラが充ち満ちてくるアニマ。
引き上げるチカラ、肉体的ではなく精神的な關係として。
そして、彼女はすでに死んでゐたことも識った。私はむしろ喜んだ。これで彼女は私だけの者、私が好き勝手に夢想をぞうけいできる、私のおもひどほりの「永遠の女性」的なるモノとなった。

私のアニマとなった、ソフィアとなった。

わがアマテラスにしてアルテミス

「わが娼婦にして聖女、處女にしてわが妻、母にしてわが娘」(グノーシス文献「雷、全きヌース」)

タチバナミチヨ*アラタマミチヨ
アラタナミチヨ、タチナバミチヨ

橘三千代を演ずるにこれほどのお誂えの、藝名から出生地をはじめとして経歴すべてにおいて適格な女優はなかった。
私はあるいは、新珠三千代は橘三千代の生まれ變はりではないかと(そんな非科學的なことは私は信じないけれど)少しだけ本氣で思ったほどだ。あるいは、奈良市の中心に生ま育った彼女自身は、橘三千代の生まれ變はりを直感してゐたのではないか、とは充分な可能性として考へた。

残念なことに、彼女はその容姿にふさはしい役に巡りあはなかった。どの監督も彼女のほんたうの魅力を引き出すことはしなかった。
或意味、こんな現代とはかけ離れた日本女性的な美貌を持ち合はせた彼女自身が引き寄せた不幸であったのかも知れぬ。人は、彼女は充分に成功した女優であったと云ふであらう。
だが、私は不滿なのである。

あゝ、私が彼女と同時代に生まれあはせてゐたら、と思はれて殘念でならないのである。

しかし、この先、コンピュータグラフィックスの技術が進展すれば、昔の女優を新たな役囘りでスクリンに登場させることができるやうになるだらう。
それならば、私は彼女のためのシネマシナリオを作って置いてやるか、と


{続くけど、後はどこかで




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