堀辰雄『菜穂子』と太宰治『斜陽』;『對のあそび』

{書きっぱなし、読みっぱなせ

「母と娘」といふ主題


ひょんな事から、堀辰雄の『菜穗子』を讀む破目となった。

讀んでいくうちに、日本が戦争中の1941昭和十六年に発表されたこの小説と敗戰後の1947昭和二十二年に發表された太宰治の『斜陽』とが、その人物設定と配置において酷似してゐることに氣附いた。それで、『對のあそび』に敗戰を挟んで作られた、母と娘の物語を並べ讀んでみることにした。どちらも青空文庫で読める。


どちらも、主人公は娘であり(母親にコンプレクスを持ち)、ブルジョワ階級であるが、父親が早逝した後、急速に落ち目となり、それぞれ別莊地(『菜穗子』は輕井澤方面、『斜陽』は伊豆方面)で母娘の二人で生活することになる。
菜穗子には兄が一人あるがほとんど小説には登場しない(その代はりのやうに別莊鄰家の同年代の男が登場する)。『斜陽』の和子には弟が一人、戰爭から復員して、二人の生活に転がり込むが、ほとんど東京に出ては無頼の生活に狂じてゐるが、小説の終はり近くで姉に遺書を書いて自殺する。菜穗子のはうの弟?役は菜穗子と同じ肺病を病み、死出の旅に出て、菜穗子を訪ねた後、近くの追分の宿で瀕死となっていく。
どちらのヒロインも結婚してゐるが、菜穗子は夫(と同居するその母)に不滿を持ってゐる。和子は 同じ階級の貴族と結婚したが、

また、どちらも母の死を物語の中心に置き、

『菜穗子』のはうは、母親の手記の部分(その死まで)と三人稱によるその後の菜穗子の成行を描く二部構成を取ってゐるが、私の感じでは全篇、「擬裝された一人稱」とでも云ったらいいのか、(入院中の)菜穗子の創作のやうな氣がする。
『斜陽』のはうは通して、娘和子の一人稱、

大宰本人はこの『斜陽』をチェーホフ186004の『櫻の園』を念頭に置いて作ったと言ってるが、

志賀直哉は、『斜陽』について「貴族の娘はこんな喋り方はしない、これじゃ下女だ」とか酷評し、それに激怒して大宰は『如是我聞』を書いて反撃に出たが、悲鳴のやうな絶叫にしかなってない。
たしかに、『斜陽』の書き出しの部分は酷い。酷すぎる。 私もその冒頭でイヤ氣がさして、投げ捨てた記憶がある。
ガマンしいしい讀み終はったが、たしかに(段々大宰自身の口調となっていき)高舊貴族のお孃樣とは、読み進んでいくほどに思はれなくなっていった。

堀辰雄のはうは、構成といい文章といい堅実であるが、主人公以外の人物造形には彫りのあまさが感じられる。
それに、彼の病弱な体力がゆるさなかったのか、物語がこれからといふところで(人物が動き出したところで)終ってしまってゐる。

この「母と娘」といふテイマ
日本人論として常套に言はれるのは「母と息子」のはうだらうが、

(書きかけ


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