序:『きよきまなじり*つよきまなざし』

(書きっぱなし、讀みっぱなせ)
2013/0204

『きよきまなじり*つよきまなざし』序 いくつもある發端(そのうちのひとつ
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 ‥‥ 阿修羅たち八部衆を散々誘惑してから私は興福寺の國寶館を出て、再建中の興福寺基壇に佇み、春日山を背景としたその東の堂塔を望んだ。


阿修羅、アスラ、アスラー、合體&分身
アノニマス、ユビキタス、アマテラス、
遍照金剛、おっとこれは空海のニックネイムであった、(どうも空海とは一度對決しなければなるまい。
胎藏金剛、六根清淨
タマシヒの白鳥、(左翼でもなく右翼でもなく)兩翼を具へた尾羽根付けのヤマトタケルのタマシヒである。 あるいは、右に行きすぎた左であり、左にいきすぎた右である。
裏から表、表から裏のメビウスの輪であり、クラインの壺である。陰陽するウロボロス、
我等は歴史を行爲する。歴史を現前させるべく、時間を反復する。この反復はキルケゴウル的な意味
かくして現在は永遠と化す。
anonymous@ubiquitous、ouroboros@amateras

ブクブク、アワアワと浮かんでは彈けるこれらのアイデア&プランを記憶するために、(記憶術的に)できるだけ奇怪なるファンタジイを作りだしていった。 ‥‥

 きよきまなじり*つよきまなざし
 前衛的なスタイルの演劇集團? 
Street Performance、平城京各地の名所旧跡での 歴史劇 
History(HisStory) Performance、
Mystery(本來は西洋中世のイエスキリストを主人公とした神祕劇のことであった。
Wikipedia 引用:The mystery play developed, in some places, into a series of plays dealing with all the major events in the Christian calendar, from the Creation to the Day of Judgment. By the end of the 15th century, the practice of acting these plays in cycles on festival days was established in several parts of Europe. Sometimes, each play was performed on a decorated cart called a pageant that moved about the city to allow different crowds to watch each play. The entire cycle could take up to twenty hours to perform and could be spread over a number of days. Taken as a whole, these are referred to as Corpus Christi cycles. (Wikipedia日本を見たら、そのまゝ譯してあった) 神秘劇は、いろいろな場所で、天地創造から最後の審判までのキリスト教暦の主要な出来事のすべてを扱う連作劇へと発展していった。15世紀の終わりになると、たとえば聖体祭(Corpus Christi)では「コーパス・クリスティ」(Corpus Christi)を演じるというように、祭日に合わせたサイクル(作品群)の上演がヨーロッパ各地で確立していった。時にはパジェントと呼ばれる、飾り立てた山車の上での上演がされ、町中を移動して群衆はそれぞれの劇を見ることができた。サイクルのすべてを上演すると20時間もかかるので、数日にかけて上演することもできた。これらを総称して「コーパス・クリスティ・サイクル」と呼ばれた。
 & 
日本にも、同じような時代、これとよく似た傾向の演劇が(飛鳥奈良時代に宮廷で始められた伎樂や雅樂の影響を受けながら)土俗のなから市中へと生まれ育っていった。 それが田樂や申樂となり、その中心的な場處となったのが、此處、興福寺と春日神社、そして、この「影向の松」こそが日本演藝の發祥の原点、といふことになってゐる。
春日若宮の「おん祭」を、神々は山から下りて來られて、この松陰にて笑覧なされる。
觀阿彌・世阿彌の親子も此處で鍛錬精錬されて、大成していったのであった。
 ちなみに、能の舞臺の背景に描かれてゐる老松はこの「影向の松」です。

阿修羅が奈良の街を驅け囘った。
さすが、觀光の街、その異形の横行闊歩が驚き騷がれることはなかつた。
古都の行事の一つ、イベントとでも 三人一組となつた古代の衣裝の藝人たちは、合體したり分裂したりしては それらの組々が何組か奈良町を中心に驅け囘り、興福寺の境内に戻ってきた。
その後を追ってきた觀光客もゐた。

スラリとしたいかにも今樣日本的な美少年三人が一體となつて開始のポウヅを取った。
一體となって、三面六臂、興福寺の阿修羅像を模したものである事は誰の目にも明らかであつた。 
小さな腰鼓が乾いた響きの律動を始め、古代西域風の雰圍氣が俄に昂まった。 
塊となつた三人は崩れるやうに分裂し、回旋の舞蹈に陶醉していつた。 周圍に蹲ってゐた黒子が立上がると邪惡の破調の舞蹈を旋回しつつ、中央に佇立する阿修羅へ接近し、包みこむやうに雲集した。
そして、はね除けられ、今度は阿修羅の舞蹈が始まる。
回旋を主な動きにしながら、三人は分裂しては合體を繰返して、惡鬼を蹴散らしていく。 
早囘しの伎樂とでも云った感じ、天平時代、伎樂が盛んに演じられた時代、あるいは伎樂はこのやうに若者たちによつて活發に演じられたのではないか、 舞踊といふよりは舞蹈の強さで、その反閇の動作には金剛力、世界淨化の意志が込められてゐる。 
春日大社の大鳥居から、春日野の樹木に覆はれた幅廣い參道を舞臺に、 暗くなりゆくなか、稽古は肅々と續けられた。を憑依させていく氣配を帶て

彼等はどこから現れ來たのであらうか。
たとへば、 吉野の山奥の過疎化して廢村となつた里山に入り、棚田を耕しつゝ、硝子玉演戲の思想を 廢村となつた山里で彼等は硝子玉演戲者の教育を受けた。廢校となった小學校に合宿、そこを本據にして こんな一團が、日本各地の廢村に「入植」し、そこを自分たちの「思考と空想」の場所として「ガラス玉演技」に すでに彼等には日本再生のための理念と計劃があった。できるだけ平和理での革命(あるいは日本的に維新)の實現、

彼等は祝祭を演出するための集團、そして同時に革命を本志とする集團でもあった。
 ‥‥
 私は「影向の松」の、今は切株となったその陰に立って、春日大社の參道を見下ろし、影向した神のごとき氣分で幻想を卷物に素描してゐた。
構想の造形が始まってゐた。
(つづく

 附録:平成22年の春日若宮「おん祭」snappingShot

影向の松



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