日本人への遺言:小林秀雄 1948

 
小林秀雄190283 『中原中也の思ひ出』1948

 
(1937年)晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを默って見てゐた。花瓣は死んだやうな空氣のなかを、眞っ直ぐに間断なく落ちてゐた。樹陰の地面は薄桃色にべつとりと染まってゐた。あれは散るのじゃない、散らしてゐるのだ。一片一片と散らすのに、きっと順序も速度も決めてゐるに違ひない。なんといふ注意と努力、私はそんな事を何故だか頻りに考へてゐた。驚くべき美術、危險な誘惑だ、俺たちにはもう駄目だが、若い男や女は、どんな飛んでもない考へか、愚行を挑撥されるだらう。花瓣の運動は涯しなく、見入ってゐるときりがなく、私は急に厭な氣持になってきた。
その時、默ってゐた中原が突然「もういいよ、歸らうよ」と云った。私はハッとして立上がり、動揺する心のなかで忙しげに言葉を求めた。「おまへは相變はらず千里眼だよ」、私は吐きだすやうに應じた。彼はいつもする道化たやうな笑ひをしてみせた。

二人は八幡宮の茶店でビールを呑んだ。夕闇のなかで柳が煙ってゐた。
彼はビールを一口呑んでは「あゝ、ボーヨー、ボーヨー」と喚いた。
「ボーヨーってなんだ」
「前途茫洋さ、あゝ、ボーヨーボーヨー」と彼は目を据ゑ、悲しげな節を付けた。
私は辛かった。詩人を理解するといふ事は、詩ではなく、生まれながらの詩人の肉體を理解するいふ事はなんと辛い思ひだらう。



『きよきまなじり*つよきまなざし』    
Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World