すべてこの世は「ひびきといかり」:わが思想のためのKeyWord


すべてこの世は「ひびきといかり」{わが思想=思考と空想のための KeyWord


Macbeth's soliloquy in act 5, scene 5 of William Shakespeare's Macbeth

"Tomorrow and tomorrow and tomorrow, 明日、明日、明日、
Creeps in this petty pace from day to day 毎日毎日、うじうじと蛆のごとくに這ひつくばって、
To the last syllable of recorded time, 記銘された最後の時へむかっての匍匐前進
And all our yesterdays have lighted fools すべての昨日といふ日々は、たゞ照らしだすだけ、莫迦者に
The way to dusty death. Out, out, brief candle! 泥まみれの死出の道を。消えろ消えろ、ちびた蝋燭!
Life's but a walking shadow, a poor player 人生など歩き囘る幻の影、あはれな役者にすぎぬ
That struts and frets his hour upon the stage 舞臺のうへで、ぎくしゃくと動きまはるだけの、
And then is heard no more: it is a tale すぐにも忘れ去られてしまふだけの。そして、その語とは
Told by an idiot, full of sound and fury, 馬鹿者が話した、響きと忿りとに充ち満ちただけの、
Signifying nothing." なんにも意味のない話。

明治開化の時代、初めて Shakespeare を日本語に全譯した(小説家にして評論家、飜譯家にして劇作家、なほかつ早稻田大學の教授であった)坪内逍遥185935による飜譯では、


…… 明日が來り、明日が去り、叉來り、叉去って、「時」は忍び足に、小刻みに、 記録に殘る最期の一分まで經過してしまふ。すべて昨日といふ日は、 阿呆共が死んで土になりに行く道を照らしたのだ。……消えろ〜、束の間の燭火! 人生は歩いてゐる影たるに過ぎん、只一時、舞臺の上で、ぎっくりばったりをやって、 やがてもう噂もされなくなる慘めな俳優だ、バカが話す話だ、騷ぎも意氣込みもえらいが、 たわいもないものだ。…… 


{1970年前後、なぜかよく聽いてゐた Electric MilesDavis のもはや「 sound & fury 」としか云ひやうのない Music に、当時の私は、この現代の地球に休むことなく動いてゐる各種モーターの「しんどう=vibration, tremor, shock, 」のことが「ひびきのいかり」としてイメジされてゐた。


日夜、休むことなく、この地上はあらゆる種類のモーターに振動して、
その怒りにも似た響きの揺動に、なにげなき影響を受けながら、人々は、
終りなきがごとくに日々を過ぎゆく、おもしろおかしく時から時へ、生から死へ
線路に乘った列車に揺られ、愛と欲との人生に退屈しつゝ、過ぎ行く時間となって、
氣が付けば時すでに遲く、永遠の青春の謳歌をつづけるこの世界から取り殘されて、
はじめて、自分の人生とは何事であったのか思ひを致す、何もかもが過ぎてしまった、
なのに、過ぎ去りし日々を忘れることもできぬ、記録が記憶を呼び起こす、本、LPにCD、
ラヴレタアに幾册もの写真のアルバム、空白のつづくなかに時々短く書き込まれてゐる日記、
他人には何でもないそれらコトバの連なりがカギとなって、過去への扉が觀音開きに全開する
かくして、現在は過去に侵蝕され、過去の重荷を引摺りながら、後ろ向きにトボトボ歩きだす
さまざまなる追憶は(自分が演じた役まはりの不樣さに)まざまざたる悔恨となり、呪はしくも
忿りの響きとなって叫んでしまふのだ ―― 消えろ、消えろ、わがいのち、この蝋燭、燃えつきろ、
あゝ「すべてこの世は響きと忿り」、束の間の時間が演じるユメかウツツかマボロシの「死の舞踏」




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