日本人への遺言:保田與重郎 1942


保田與重郎191081『歴史と風景』1942


「もののあはれ」によつて成立した文化の時代の生理は一變し、亂世の詩人の生き方は「わび」や「さび」であつた。西行111890の生涯と詠歌によつて明らかなやうな「有心」と「無心」の兩派の美學が對立するがごとくにして恒に同一母胎を確保してきた處に我國の美の歴史があつた。風景觀の歴史も後鳥羽院にによつて風體を一變したわけである。
さうして、このやうに云へる處にわが風景觀の「歴史」があつた。しかし、こゝで風景觀の歴史といふのは誰の風景觀、彼の風景觀といふ類のものの年代的羅列でない。さらにまた、あの頃の風景觀、かの時代の風景觀と言ふのでもない。我々は日本の風景觀の傳統相承を考へて歴史を言ふのである。それを具體的に言へば、「歌枕」の歴史である。近世になつて葛飾北齋176049や安藤廣重179758のやうな古今東西を絶した風景感覺の優れた大畫工が出現して、見所のおもしろさをさかんに教へた時も、つひに歌枕の歴史から外には出なかった。
藝術的感覺の何物も持たないやうな、近來の登山家や旅行者が泰西風の風景の斷片や、荒蕪の山野の一片を眺めて悦んだ事はむしろ近年において我等が文化が沈滯してからの現象である。私は日本人の風景感覺の衰頽を文化上の憂慮とし、その回復については以前にも縷々述べたが、近來の畫家や旅行者や登山家がわが風景觀を失はせ、山岳觀を損ねた事實は夥しいものがある。山の神聖を守りませう、紙屑や空缶をすてないやうにといつた類の立札こそ ‥‥

&

我國で云ふ國土への愛といふのはきはめて深い民族と歴史の表現である。その根底の神政一體の論理は、今が今に有効に働いてほしいと願ふやうな邪教的信仰を許さない嚴肅の思想である。風景觀の自覺は同時に我國の歴史観の自覺と不可分離な思想であつた。それは文化や思想の本質的な問題の一つである。

&

一般が露骨で扇情的な風景にのみ心惹かれるやうになったのは、日本の読書人すなはちいはゆる文化人が風景觀上の傳統を失ひ、文人が歴史を忘れ、すべてが文明開化となったからである。しかも、風景といふものは、こゝで故郷といった思想で代表される時、それはたんに外にある景觀でなく、心中の景色である。外にある風物を眺めるといふ意味の「眺め」といふ事についての、美の思想的反省はすでに古典に發生し、平安朝の女流詩人の美の思想として完成せられたものである。この「眺め」がどういふ美の思想であるかは、たとへば和泉式部の詩作品をみれば、その中古の形が解るであらう。しかし、これを説明して、その真義の半ばに及ぶほどの近代美學は、今までの私はいまだ見出しえなかった。しかし、かういふ處にも我々は日本の傳統の歴史の考へ方の働く樣を見るのである。
近代美學の主體と客體との關係だけでなく、たとへ汎神論を要請してみても、この「眺め」の美學は明白になし得ず、こゝに我々は我國の歴史を知るのであるが、かかる國柄の歴史の思想は我々の今日が歴史観と云うてゐるやうな思想とはほとんど正反對の考へ方である。

&

故郷としての風景はすでにして歴史であり思想である。しかも、わが國土はかつて神々の住はれた遺跡でなく、神の繼承を傳へた歴史の土地である。
それはわが歴史そのものであつた。詩人にとっての故郷が創造の源泉となるごとく、民族の風景觀の確立は民族の創造力の確保のうへで不可缺のものである。すべて文化の事を合理的有効さで考へる以外に能のない世人がこの点を輕視せぬ事を今日私は深く要求するのである。さうして我國の風景觀がきはめてありふれた平凡のなかに見所を悦び、歴史の徴證を先人の史蹟によつて感銘するはうへ向ってきた事は、わが後鳥羽院以後の詩人の美學と同一の原理に立つものである。それは松尾芭蕉164494の身を以て行ひ現した思想であり、かかる點において芭蕉は最後の人であり、また最初の人であつた。
(昭和一七年三月)


我々が日本人性を回復していく道は、その歴史の舞臺となつた風土へのノスタルジアにしかないであらう。その四季に惠まれた豐かな風土はそのまゝ、日本人の心性にとつては祖先の住まふ神々の地でもあつた。日本人の文化の原質はそのやうな身近さで目の前にある。しかも、今や汚染され破壞され、見捨てられた慘状として。日本人もまた(近代の西洋人に負けず劣らず)みづからの神々を殺したのだ。神々を殺し、故郷喪失した現代の日本人にとつて、ありがたい事に日本の文化はその風光明媚な國土の謳歌に溢れてゐる。これらのの古典に親しみ、目の前の風光に眼を開け。精神の治癒の方法はそれ以外にない。

『きよきまなじり*つよきまなざし』      
Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World