日本人への遺言:内村鑑三 1894

 
我々はどこから來て、何者であり、どこへ行かうとしてるか、
未來を見通すために、現在を見詰め、過去を見渡す ―― 
 
 内村鑑三186130 →Wikipedia


‥‥ しかしながら私にここに一つの希望がある。この世の中をズット通り過ぎて安らかに天國に往き、私の豫備學校を卒業して天國なる大學校にはいつてしまつたならば、それでたくさんかと己れの心に問ふてみると、そのときに私の心に清い欲が一つ起つてくる。すなわち私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい國、この樂しい社會、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまひたくない、との希望が起つてくる。ドウゾ私は死んでからただに天國に往くばかりでなく、私はここに一つの何かを遺して往きたい。それで何もかならずしも後世の人が私を褒めたつてくれいといふのではない、私の名譽を遺したいといふのではない、ただ私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思つたかといふ記念物をこの世に置いて往きたいのである、すなわち英語でいう Memento を殘したいのである。かういふ考へは美しい考へであります。私がアメリカに居りましたときにも、その考へがたびたび私の心に起りました。私は私の卒業した米國の大學校を去るときに、同志とともに卒業式の當日に愛樹を一本校内に植ゑてきた。これは私が四年も育てられた私の學校に私の愛情を遺しておきたいためであつた。なかには私の同級生で、金のあつた人はそればかりでは滿足しないで、あるいは學校に音樂堂を寄附するもあり、あるいは書籍館を寄附するもあり、あるいは運動場を寄附するもありました。
 しかるに今われわれは世界といふこの學校を去りまするときに、われわれは何もここに遺さずに往くのでございますか。その點からいうとやはり私には千載青史に列するを得んといふ望みが殘つてゐる。私は何かこの地球に Memento を置いて逝きたい、私がこの地球を愛した證據を置いて逝きたい、私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。それゆえにお互いにここに生まれてきた以上は、われわれが喜ばしい國に往くかも知れませぬけれども、しかしわれわれがこの世の中にあるあいだは、少しなりともこの世の中を善くして往きたいです。この世の中にわれわれの Memento を遺して逝きたいです。有名なる天文學者のハーシェルが二十歳ばかりのときに彼の友人に語つて「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより、世の中を少しなりともよくして往こうではないか」といふた。實に美しい青年の希望ではありませんか。 ‥‥
『後世への最大遺物』1894



武士道は日本國最善の産物である。しかしながら武士道そのものに日本國を救ふの能力(ちから)は無い。武士道の臺木にキリスト教を接いだもの、そのものは世界最善の産物であつて、これに、日本國のみならず全世界を救ふの能力がある。今やキリスト教は歐州において滅びつゝある。そして物質主義にとらはれたる米國に、これを復活するの能力が無い。ここにおいてか神は日本國に、その最善を獻じて彼の聖業を助くべく求めたまひつゝある。日本國の歴史に、深い世界的の意義があつた。神は二千年の長きにわたり、世界目下の状態に應ぜんがために、日本國において武士道を完成したまひつゝあつたのである。世界はつまりキリスト教によつて救はるゝのである。しかも武士道の上に接ぎ木されたるキリスト教によつて救わるゝのである。
『聖書之研究』1916

{彼はクリスチャンであつた。私はさうではない。だが、志としては私は彼に共鳴する。
{志と云ったついでに、「ボウイズビアンビシャス」と云ったのは、札幌農學校の生徒となつた内村鑑三の校長であつたクラーク博士でした。「ボウイズビアイビシャス」には續きがあって、全體は 'Boys, be ambitious like this old man' 老人も若者も大志を抱け。大志を抱いて「I in Japan, Japan in World」(内村の座右銘)となれ。



Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World