『きよきまなじり*つよきまなざし』 趣意書 02


堀辰雄が『大和路』に書いた旅を奈良にした年は昭和十六年の十月であつた。
この年の十二月八日には、日本側の宣戰布告によつてアメリカとの戰爭が始まった。
そして、三年と九ヶ月の戰爭のあげく、原子爆彈を二發食らひ、敗戰を受諾して、昭和二十年八月十五日、天皇によつて終戰が告げられた。折口信夫はそれを聞いて、

につぽんのくに たたかひまけて ほろびむとす すめらみこと、
そらにむかひて、のりたまふ ことのかなしさ。


と絶唱した。日本の敗北は日本の神々の敗北であつた。折口はひとり眞摯に、深刻にさう思ひ考へた。そして翌年、堀辰雄の阿修羅像についての「なんといふういういしい、しかも切 ない目ざしだろう。こういう目ざしをして、何を見つめよとわれわれに示してゐるのだろう。 それが何かわれわれ人間の奥ぶかくにあるもので、その一心な目 ざしに自分を集中させてゐると、自分のうちにおのづから故しれぬ郷愁のやうなものが生れてくる、――何かさういつたノスタルジックなものさへ身におぼえ出 しながら、」といふ日本人としての根源的な疑問、「我々はどこから來て、何者であり、どこへ行かうとしてゐるのか」に答へるやうに 『神道の新しい方向』 といふ日本の未來への祈りと願ひの文章を作った。

それで、われわれはこゝによく考へて見ねばならぬことは、日本の神々は、實は神社において、あんなに尊信を續けられて來たといふ風な形には見えてゐますけれども、神その方としての本當の情熱をもつての信仰を受けてをられたかといふことを、よく考へて見る必要があるのです。千年以來、神社教信仰の下火の時代が續いてゐたのです。例をとつて言へば、ぎりしや・ろうまにおける「神々の死」といつた年代が、千年以上續いてゐたと思はねばならぬのです。
佛教の信仰のために、日本の神は、その擁護神として存在したこと、歐洲の古代神の「聖何某《セントナニガシ》」といふやうな名で習合存續したやうなものであります。われわれは、日本の神々を、宗教の上に復活させて、千年以來の神の軛から解放してさし上げなければならぬのです。こゝに新しい信徒に向つては、初めてそれらを呼び醒さなければならないでせう。とにかくさうしなければ、日本の只今のかういふ風に堕落しきつたやうな、あらゆる禮譲、あらゆる美しい習慣を失つてしまつた世の中は救ふことが出來ません。また、そればかりではありません。日本精神を云々する人々の根本の方針に誤つた處が、もしあつたとしたなら、この宗教を失つてゐた――宗教を考へることをしなかつた――、宗教をば、神道の上に考へることが罪惡であり、神を汚すことだと、さういつた考へを持つてゐたことが、根本の誤りだつたらうと思はれるのです。だからどうしてもわれわれは、こゝにおいて神道が宗教として新しく復活して現れて來るのを、情熱を深めて仰ぎ望むべきだと思ひます。
たゞわれわれの情熱だけで、宗教を出現させることの出來るものでもありません。宗教には何よりもまづ、自覺者が出現せねばなりません。神をば感じる人が出なければ、千部萬部の經典や、それに相當する神學が組織せられてゐても、意味がありません。いくらわれわれがきびしく待ち望んだところで、さういふ人がさういふ状態に入るといふことは、必しも起つて來ることでもありません。しかし、たゞわれわれがさうした心構へにおいて、百人・千人、或は萬人、多數の人間が憧憬をし、憧れてゐたら、遂にはさういふ神を感得する人が現れて來るだらう、おそらくさういふ宗教が實現して來るだらうと信じます。
其ばかりではない。おそらく最近に、教養の高い人の中から、きつと神道宗教の自覺者をば出すことになるだらうと思ひます。それには、われわれは深い省みと強い感情とをもつて、われわれ自身の心から、われわれ自身の肉體から、迸り出るやうに、さういふ人が、啓示をもつて出て來るやうにし向けなければなりません。極端な言ひ方をすれば、われわれ幾萬の神道教信者の中に、最も神の旨に叶つた豫言者たり得るものありやといふことに歸するのです。
われわれのすべきことは、さういふ時を待つ態度であります。もし私が宗教的自覺状態に入つて、深い神の意志を把握する――。さういふ時に至るまでの用意が出來てゐるかといふのです。われわれは、どういふ神を得ようとしてゐるか。われわれはどういふ神をば曾て持つてゐたか。かういふ解決を要する、最後的な疑問を持つてゐるのでなくてはなりません。

このおもひが昭和二十七年二月に開催された興福寺展の時の講演『きよきまなじり』にも反映してゐる。
阿修羅といふ本來の憤怒の相貌に「切ない」悲憤の表情を漂はせてしまつた古代人の造形に、折口は佛教によつて夭折させられてしまつた日本の本來の神々の面影を追った。「佛てふ神」の渡來により未完成靈のまゝに夭折させられた「神々の死」を想った。
そして、この翌年、五月に折口がその才能を愛した堀辰雄が四十九歳で亡くなり、その葬儀で追悼の詩を讀んだ六十七歳の折口信夫はそのまゝ崩れるやうに九月三日に死んでしまつた。

興福寺の阿修羅像に格別のおもひをこめて見詰めた人々は死に逝き、半世紀が過ぎ、その後多くの日本人のまなざしがこの天平の美少年に向けられてきたが、その心は何を感じ思ってきたのだらうか。
この「きよきまなじり」に、私は、日本人にたいして鋭く烈しく見詰め返す「つよいまなざし」をおもひたいのだ。

戰後、まさに阿修羅のごとくエコノミックアニマルと化して働き、カネを稼いで豐かにモノを享受したが、その代償のやうに魂を失ひ、失った事も氣付かぬほどにウツロに呆けてしまつてゐる。今や我々は日本人として、また人間としての精神の危機にあると言はなければならない。
早急なる自省が求められてゐるのだ。
日本人よ、神々とともに甦れ。



Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World