思考と空想:1991 ナイヴといふナイフ

 
普通とすこしだけ、ずれた*ずらした、視点。
差異にも、目立つものと氣付かれぬものと



熟慮された即興」ドガ
Edgarドガは感覚が表現となり思想となりえた最後の画家であったのかも知れない。
その後の芸術家は感覚だけか、さもなくば思想だけである。
キチガイかさもなくば詐欺師かのいづれかだ。



ナイヴといふナイフが私の武器だ。
この鋭利な武器によつて、私は「王樣の裸」を揶揄する「オホカミ少年」となる。



時が堰を崩したように流れ去って行く。時の急流に棹さす術を失って(最初から知らなかったのかもしれない、私は、むしろ或種の快感を覚えつつ、激流瀧壷へと流れ墜ちていく。すべての努力は水泡と帰した。それらは、時の流れの(永遠に静止しているかのように)穏やかであった上流の清らかな浅瀬での、今こうしてみれば夢のような時間であった。昨日の事が去年の事のように既に遥かに遠い。
この流れを逆行するには
逆行するよりも、むしろ、流されるままに運命に従順にこの激流を流されて、瀧に落ちて、或はそこに、またひとつの永遠のような深淵が待っているかも知れない(待っていないともかぎらないなどと



仁義などと時代めいた事は云うまい。道徳倫理、これも観念としてはともかく体感としては持ち合せていないのだろうから、口酸っぱくしていくら云ってみても仕様がない。亡国が間近、すぐそこにあるとだけ脅かしておく。
我々には既に、道徳とか倫理とかの言葉の観念はあるにしろ生理的体感としては認識できなくなっているのにちがいない。おそらく日本人の殆どが、その関心は、すべては金次第、どんな事でもお金でカタが付くと思っている。
現代、この日本では、すべてがすべてカネに纏わる事件ばかりだ。お巡りさんは(届け出拾得物の小金を着服し、銀行員は(架空口座で金を動かし、証券マンは(偽情報で詐欺する、暴力団は白昼堂々(ゴルフ場で謀議を凝らし、、そして上司は知らない会社には関係ない、懲戒免職して一件落着、こんな報道には慣れ切った、本気で誰も驚かないし誰も怒らない。亡国はすぐそこにあると云わなければならない。
「大道廃れて仁義あり」
と、ここで大笑談に振りかぶってオウヴァスロウに、仁義道徳を説くのにふさわしい時なのかも知れぬ。



アポカリプスかぷりしゃす
終末的状況はきわまりゆく。だが、終末はやってこない。だらだらと悪くなっていくだけの状況が続いていく。順応する事の得意な生き物である人類はこの悪化にも順応していくだろう。順応する為に人は増々悪化して、世界がそのまま地獄の様相となっていく。生きる事がそのまま地獄を生きる事であり、もっとも生き残る者がもっとも地獄を生きなければならないというような此ノ世の状況となる。


Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World 199107