「やまと」三部作:覺書

2006/1020

「やまと」三部作、覺書

『阿修羅の時代』平城京の時代を阿修羅なる悲慘にして滑稽なる時代として物語る
『やまとまほろば』詩歌と映像によるノスタルジイ
『日本への國粹』日本のために、古今の日本人の言葉コトダマ拾ひ集めて

平城京の時代 ―― 
藤原不比等065920と橘三千代??0733の子孫たち、
聖武天皇と光明皇后、そしてその娘、孝謙(後に重祚して稱徳)天皇の時代。
日本の青春時代であった天平といふ文化の「あけくきよくなほき」はれやかなる御代、
その光の影で演じられる政事的暗鬪、若き野心と欲望とに阿修羅となって、陰謀につぐ陰謀、殺戮につぐ殺戮、或種遊戲のやうに、飽きることもなく、流されつづける「血と汗と泪」は、新都の大地に滲みとほり、「夭折していった者たち」は怨靈となって、うらみつらみのどす黒き響きの聲を勝者たちの未來へ投げかける ―― 
かうした「罪と罰」とを自作自演していくなかで、藤原氏は天皇家にきつくつよく巻き付いていき、そのヤカラチカラで天皇制を立たせ支えることで(柱と藤とが)兩立する、(權威と權力との二重構造といふ)いかにも日本的な國體が樹立されていったのであった。


これらのことを「もの、かたり」に作ろう、と私は奈良へやってきた。現在の奈良ではなく平城京のその時代にタイムトラヴェルしたつもりで。
あをによし寧樂の都の事を、その山川の地形と遺跡の光景と、後は知識による想像力と現場百回、その體驗がもたらす直感とで肉迫していくのだ。
ひとけなき(「かはたれ」や「たそかれ」の)時間、「血と汗と泪」のほのぐらいにほひのなかに、地靈たちの幻影が立ちあらはれるまで、私も幻影となって佇み、歩き、見渡しては見詰め、思考と空想とに耽っていく ‥‥ 

日本といふ國家は、中大兄皇子(天智天皇)と大海人皇子(天武天皇)の兄弟による奮闘により、それまでの大王制から天皇制へと革新、倭國維新を成し遂げていった。


「推古天皇ー聖徳太子ー蘇我馬子」による倭國近代化の摸索に始まり、天智から天武へと展開していった七世紀が「日本」の「創業」の時代であり、飛鳥から奈良へ遷った八世紀、平城京の時代が日本「守成」の時代であった。
かうして「天皇制」を中心に置いた「日本」といふ國家が創成されていったのであった。

平城京遷都。西暦で云へば七一〇年、今から一千三百年前、奈良平野の南の端の飛鳥藤原京から北の端の寧樂平城京へと都は遷って行った。

その時、女帝であった元明天皇は、輿を止め、古京を遙かに望んで、

とぶとりの 明日香の里を 置きていなば、
君があたりは 見えずかもあらむ

と、新都での將來にたいする何氣ない不安を呟くやうに詠った。

この時代を實質的に支配してゐたのは、藤原不比等065920とその夫人、橘三千代??0733であつた。




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