2008年6月28日土曜日

日本人への遺言:保田與重郎 1942


保田與重郎191081『歴史と風景』1942


「もののあはれ」によつて成立した文化の時代の生理は一變し、亂世の詩人の生き方は「わび」や「さび」であつた。西行111890の生涯と詠歌によつて明らかなやうな「有心」と「無心」の兩派の美學が對立するがごとくにして恒に同一母胎を確保してきた處に我國の美の歴史があつた。風景觀の歴史も後鳥羽院にによつて風體を一變したわけである。
さうして、このやうに云へる處にわが風景觀の「歴史」があつた。しかし、こゝで風景觀の歴史といふのは誰の風景觀、彼の風景觀といふ類のものの年代的羅列でない。さらにまた、あの頃の風景觀、かの時代の風景觀と言ふのでもない。我々は日本の風景觀の傳統相承を考へて歴史を言ふのである。それを具體的に言へば、「歌枕」の歴史である。近世になつて葛飾北齋176049や安藤廣重179758のやうな古今東西を絶した風景感覺の優れた大畫工が出現して、見所のおもしろさをさかんに教へた時も、つひに歌枕の歴史から外には出なかった。
藝術的感覺の何物も持たないやうな、近來の登山家や旅行者が泰西風の風景の斷片や、荒蕪の山野の一片を眺めて悦んだ事はむしろ近年において我等が文化が沈滯してからの現象である。私は日本人の風景感覺の衰頽を文化上の憂慮とし、その回復については以前にも縷々述べたが、近來の畫家や旅行者や登山家がわが風景觀を失はせ、山岳觀を損ねた事實は夥しいものがある。山の神聖を守りませう、紙屑や空缶をすてないやうにといつた類の立札こそ ‥‥

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我國で云ふ國土への愛といふのはきはめて深い民族と歴史の表現である。その根底の神政一體の論理は、今が今に有効に働いてほしいと願ふやうな邪教的信仰を許さない嚴肅の思想である。風景觀の自覺は同時に我國の歴史観の自覺と不可分離な思想であつた。それは文化や思想の本質的な問題の一つである。

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一般が露骨で扇情的な風景にのみ心惹かれるやうになったのは、日本の読書人すなはちいはゆる文化人が風景觀上の傳統を失ひ、文人が歴史を忘れ、すべてが文明開化となったからである。しかも、風景といふものは、こゝで故郷といった思想で代表される時、それはたんに外にある景觀でなく、心中の景色である。外にある風物を眺めるといふ意味の「眺め」といふ事についての、美の思想的反省はすでに古典に發生し、平安朝の女流詩人の美の思想として完成せられたものである。この「眺め」がどういふ美の思想であるかは、たとへば和泉式部の詩作品をみれば、その中古の形が解るであらう。しかし、これを説明して、その真義の半ばに及ぶほどの近代美學は、今までの私はいまだ見出しえなかった。しかし、かういふ處にも我々は日本の傳統の歴史の考へ方の働く樣を見るのである。
近代美學の主體と客體との關係だけでなく、たとへ汎神論を要請してみても、この「眺め」の美學は明白になし得ず、こゝに我々は我國の歴史を知るのであるが、かかる國柄の歴史の思想は我々の今日が歴史観と云うてゐるやうな思想とはほとんど正反對の考へ方である。

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故郷としての風景はすでにして歴史であり思想である。しかも、わが國土はかつて神々の住はれた遺跡でなく、神の繼承を傳へた歴史の土地である。
それはわが歴史そのものであつた。詩人にとっての故郷が創造の源泉となるごとく、民族の風景觀の確立は民族の創造力の確保のうへで不可缺のものである。すべて文化の事を合理的有効さで考へる以外に能のない世人がこの点を輕視せぬ事を今日私は深く要求するのである。さうして我國の風景觀がきはめてありふれた平凡のなかに見所を悦び、歴史の徴證を先人の史蹟によつて感銘するはうへ向ってきた事は、わが後鳥羽院以後の詩人の美學と同一の原理に立つものである。それは松尾芭蕉164494の身を以て行ひ現した思想であり、かかる點において芭蕉は最後の人であり、また最初の人であつた。
(昭和一七年三月)


我々が日本人性を回復していく道は、その歴史の舞臺となつた風土へのノスタルジアにしかないであらう。その四季に惠まれた豐かな風土はそのまゝ、日本人の心性にとつては祖先の住まふ神々の地でもあつた。日本人の文化の原質はそのやうな身近さで目の前にある。しかも、今や汚染され破壞され、見捨てられた慘状として。日本人もまた(近代の西洋人に負けず劣らず)みづからの神々を殺したのだ。神々を殺し、故郷喪失した現代の日本人にとつて、ありがたい事に日本の文化はその風光明媚な國土の謳歌に溢れてゐる。これらのの古典に親しみ、目の前の風光に眼を開け。精神の治癒の方法はそれ以外にない。

『きよきまなじり*つよきまなざし』      
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2008年6月25日水曜日

:平城遷都1300年記念事業:0620 新報号外

 
もうどうでもいい事だらうが、
六月二十日、平城遷都1300年記念事業に第三のマスコットキャラクターが登場したらしい。→産経新聞

騷動の發端となつた「せんとくん」にたいして「小僧と云へども佛僧であるその神聖な頭に鹿の角など付けちゃいかん」と角を生やして反對運動に立ちあがった「なんとか会」僧侶團體が、公募ではなく獨自に(聖徳太子の少年時代のイメジで)造形、名前は「なーむくん」ださうである。
なんか、一度聞いただけ「むなーしく」なるやうな、脱力系の、景氣のわるさうな、お經のやうな、陰々滅々、お祭にはあまりいいネイミングではないかと思はれる。それに、この「なーむ」が南無妙法蓮華經に由來するとしたら、僧侶にとつては生命より大切なはずのお經を「くん」呼びなどしてマスキャラの名にして玩ぶのはの、小僧に角を付けるのと同じくらゐ、あるいはそれ以上の冒涜にあたらないだらうか、と老婆心ながら指摘してをく。
それよりなにより、
聖徳太子
を持ちだした事の不可解。聖徳太子と平城遷都とは百年あまりも時間差があり、また聖徳太子と奈良とは直接の關係は何もなし、これでは無知をさらして恥の上塗り、なにをトチ狂ったのかと増々以て物笑ひの種となりゆく「平城遷都1300年記念事業」のために大いに慨歎、そしてついでに憤慨を催した。
ともあれ、
官民、それにここに(今の寺社がどれだけ聖的かは知らぬが)が加はり、三つ巴の亂立となつたが(だが「せんとくん」と「まんとくん」は早速わが豫想どほり手を組んだらしい)、二番煎じに三番煎じの茶番「奈良茶漬」興行に、バカなお祭騷ぎに飽きないこの國民もさすがに「もういいや」と食傷氣味となつてるのではないだらうか。

「おもしろうてやがてかなしき」と芭蕉は鵜飼ひの事を歌ったが、おもろうてやがてかなしき奈良祭、今や「悲慘にして滑稽」の状況を、狂瀾を既倒に廻らす(荒れ狂ふ大波をもとの方向へ押し返す、すっかり悪くなった形勢を押し返す意味の成句)べく、『きよきまなじり*つよきまなざし』となつて、今や亡國の感はなはだしい日本の未來のために、大所高所から聖徳太子とともに頑張っていく所存、何かの際にはよろしく御支援、御助力のほど、願ひ申しあげます。




平城遷都1300年記念事業

私的に
亡國日本救済事業

すべく
きよきまなじり
つよきまなざし

なりて


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2008年6月22日日曜日

日本人への遺言:新渡戸稻造 1900

 
新渡戸稲造186233



新渡戸稻造:BUSHIDO THE SOUL OF JAPAN 『武士道』 1900


__PREFACE
About ten years ago, while spending a few days under the hospitable roof of the distinguished Belgian jurist, the lamented M. de Laveleye, our conversation turned, during one of our rambles, to the subject of religion. "Do you mean to say," asked the venerable professor, "that you have no religious instruction in your schools?" On my replying in the negative he suddenly halted in astonishment, and in a voice which I shall not easily forget, he repeated "No religion! How do you impart moral education?" The question stunned me at the time. I could give no ready answer, for the moral precepts I learned in my childhood days, were not given in schools; and not until I began to analyze the different elements that formed my notions of right and wrong, did I find that it was Bushido that breathed them into my nostrils.
Bushido, the Soul of Japan は原文が ProjectGutenberg にあります。

{岩波文庫、新渡戸稻造の生徒であつた矢内原忠雄による譯
__第一版の序文
約十年前、私はベルギーの法學大家、故ド・ラブレー氏の歡待を受け、そのもとで數日を過したが、或日の散歩の際、私どもの話題が宗教の問題に向いた。「あなたのお國の學校には宗教教育はないと仰るのですか」と、この尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が答へるや否や、彼は打驚いて突然歩を停め、「宗教なし! どうして道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し云ったその聲を私は容易に忘れ得ない。當時、この質問は私をまごつかせた。私はこれに即答できなかった。と言ふのは、私が少年時代に學んだ道徳の教へは學校で教へられたものではなかったから。
私は、私の正邪善惡の觀念を形成してゐる各種の要素の分析を始めてから、これらの觀念を私の鼻腔に吹きこんだものは武士道である事をやうやく見出したのである。


" 内村鑑三186130の札幌農學校時代の同級生に新渡戸稲造186233がゐた。
彼等は明治政府によつて開校されたばかりの札幌農學校の第二期生で、「ボウイズ、ビアンビシャス」と薫陶したクラーク博士はすでに去ってゐたが、その強い精神的影響力のもとにともにキリスト教徒となつた。
" 新渡戸の武士道の稱揚には、彼が東北地方の小藩、それも滅ぼされゆく舊體制側の武士の子として生まれたといふ個人的条件が働いてゐる事は指摘するまでもあるまい。これはほとんど同じ条件の出身で新渡戸と或意味雙子のやうな人生の軌跡を描いた内村鑑三についても云はれ得る。内村が日本の武士道を西洋において墮落傾向の著しくなってゐたキリスト教を支へるための、云はば innerPower として武士道を持ちだしたのが、私には(木に竹を接ぐかのやうに)奇異であつたが、彼等にとつての武士道は彼等が幼少年期に授けられた男性的人間教育の體驗であり、彼等のアイデンティティとなるべき内面生活の倫理的規範だったからであっただと理解された。そして、彼等の武士教育が終る頃には武家の時代は終焉して、維新となって武士の魂である刀を奪はれ旧式となつた武士道にたいして彼等は最後の武士「ラストサムライ」としてノスタルジックに、多分に武士道を理想化させて自分の精神基盤となしたのであつた。この事は、新渡戸の『武士道』が「過去を敬ふこと、ならびに 武士の徳行を慕ふことを 私に教へたる わが愛する叔父 太田時敏に」獻呈された事でも證明されるだらう。
{明治維新を幼年時代で迎へた彼等の世代が一番外國語ができたやうに思ふ。内村にしても新渡戸にしても英語で(しかも名文で大文章を)書いたし、同時代の岡倉天心186313にしてもさうだ。彼等の時代にはあって我々にはないもの ―― それは志であり、それこそ精神の背筋となるべき「武士道」かも知れない。
Wikipedia の記事によれば、「明治36年(1903年)、岡倉天心は米国ボストン美術館からの招聘を受け、横山、菱田らの弟子を伴って渡米。羽織袴で一行が街の中を闊歩していた際に若い米国人から冷やかし半分の声をかけられた「おまえたちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」。それにたいし天心は「我々は日本の紳士だ。あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」と流暢な英語で言い返した。」 のださうだ。
" おそらく、思想はノスタルジイに伴はれたはうがより力を増すであらう。思想とは(思考と空想の)イカロスの翼、背中に翼を確信して高く高く飛べ、墜落を怖れるな、墜落も衝突までは或種の飛翔なのだから。

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2008年6月20日金曜日

日本人への遺言:内村鑑三 1894

 

我々はどこから來て、何者であり、どこへ行かうとしてるか、
未來を見通すために、現在を見詰め、過去を見渡す ―― 
 
 内村鑑三186130 →Wikipedia


‥‥ しかしながら私にここに一つの希望がある。この世の中をズット通り過ぎて安らかに天國に往き、私の豫備學校を卒業して天國なる大學校にはいつてしまつたならば、それでたくさんかと己れの心に問ふてみると、そのときに私の心に清い欲が一つ起つてくる。すなわち私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい國、この樂しい社會、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまひたくない、との希望が起つてくる。ドウゾ私は死んでからただに天國に往くばかりでなく、私はここに一つの何かを遺して往きたい。それで何もかならずしも後世の人が私を褒めたつてくれいといふのではない、私の名譽を遺したいといふのではない、ただ私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思つたかといふ記念物をこの世に置いて往きたいのである、すなわち英語でいう Memento を殘したいのである。かういふ考へは美しい考へであります。私がアメリカに居りましたときにも、その考へがたびたび私の心に起りました。私は私の卒業した米國の大學校を去るときに、同志とともに卒業式の當日に愛樹を一本校内に植ゑてきた。これは私が四年も育てられた私の學校に私の愛情を遺しておきたいためであつた。なかには私の同級生で、金のあつた人はそればかりでは滿足しないで、あるいは學校に音樂堂を寄附するもあり、あるいは書籍館を寄附するもあり、あるいは運動場を寄附するもありました。
 しかるに今われわれは世界といふこの學校を去りまするときに、われわれは何もここに遺さずに往くのでございますか。その點からいうとやはり私には千載青史に列するを得んといふ望みが殘つてゐる。私は何かこの地球に Memento を置いて逝きたい、私がこの地球を愛した證據を置いて逝きたい、私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。それゆえにお互いにここに生まれてきた以上は、われわれが喜ばしい國に往くかも知れませぬけれども、しかしわれわれがこの世の中にあるあいだは、少しなりともこの世の中を善くして往きたいです。この世の中にわれわれの Memento を遺して逝きたいです。有名なる天文學者のハーシェルが二十歳ばかりのときに彼の友人に語つて「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより、世の中を少しなりともよくして往こうではないか」といふた。實に美しい青年の希望ではありませんか。 ‥‥
『後世への最大遺物』1894



武士道は日本國最善の産物である。しかしながら武士道そのものに日本國を救ふの能力(ちから)は無い。武士道の臺木にキリスト教を接いだもの、そのものは世界最善の産物であつて、これに、日本國のみならず全世界を救ふの能力がある。今やキリスト教は歐州において滅びつゝある。そして物質主義にとらはれたる米國に、これを復活するの能力が無い。ここにおいてか神は日本國に、その最善を獻じて彼の聖業を助くべく求めたまひつゝある。日本國の歴史に、深い世界的の意義があつた。神は二千年の長きにわたり、世界目下の状態に應ぜんがために、日本國において武士道を完成したまひつゝあつたのである。世界はつまりキリスト教によつて救はるゝのである。しかも武士道の上に接ぎ木されたるキリスト教によつて救わるゝのである。
『聖書之研究』1916

{彼はクリスチャンであつた。私はさうではない。だが、志としては私は彼に共鳴する。
{志と云ったついでに、「ボウイズビアンビシャス」と云ったのは、札幌農學校の生徒となつた内村鑑三の校長であつたクラーク博士でした。「ボウイズビアイビシャス」には續きがあって、全體は 'Boys, be ambitious like this old man' 老人も若者も大志を抱け。大志を抱いて「I in Japan, Japan in World」(内村の座右銘)となれ。



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2008年6月15日日曜日

intermezzo : ひびきといかり

Macbeth's soliloquy in act 5, scene 5 of William Shakespeare's Macbeth

"Tomorrow and tomorrow and tomorrow,
Creeps in this petty pace from day to day
To the last syllable of recorded time,
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more: it is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing."





 
 {ことわるまでもありませんが、このプレイヤーは私でも、私の息子でもありません。


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2008年6月12日木曜日

WordWorld:日本人への遺言:鈴木大拙 1938

 
{硝子玉演戲者のためにも
 
鈴木大拙187066『禪と日本文化』1938

自覺に關する禪の技術の心理的解釋は「人間の極限は神の機會である」。東洋流に云へば、窮して通ずるといふ眞理に基礎を置くのである。偉大な行爲はみな、人間が意識的な自己中心的な努力を捨て去つて、無意識の働きに任せる時に成就せられる。神祕的な力が何人の内にも宿されてゐる。それを目覺してその創造力を現わすのが參禪の目的である。
人が「狂氣」になつた時、偉大な事が成就されるとしばしば言はれる、といふ意味は、人間普通の意識層では思想や概念が合理的に組織され、道徳的に配置されてゐる。そこでは我等はいづれも通常の、常套的の、平々凡々の俗人である。賞讃に値する市民である。どこまでも間違ひがない。だがそこには踏み慣れた道を外れようとする意欲も、創造しようとする衝動もない。日常を踏み破れば、そこから先は人間社會では危險人物と見なされてしまふ。それは凡人には堪へられない。しかも彼には周圍から社會人として家庭人としての期待が掛けられてゐる。だが、偉大な魂の場合、期待されていない。むしろ期待されないやうに振舞ふ。氣違ひとなる。彼は自由である。都合のいい所に彼を繋ぎ止めて置くわけにはいかない。いつも何か自分より大きなものを追ひ求めてゐる魂。この何か大きなものは、彼が眞實自分に眞摯でかつ眞面目な場合、さらに高い意識の層に彼を押上げて、さらに廣い展望によつて事物を眺めさせるやうにする。自分が眞にゐる場所、居る事ができ、また居なければならぬ場所を知れば、彼は自分についてゐる幻を成就し實現するために「キチガヒ」になる。あらゆる偉大な藝術はかういふふうにして生産されるのである。藝術家は創作家として、我々のやうに常套的コンベンショナルな方面にのみ心を動かしてゐる者とは異なり、高次元の面に生きてゐる。このより深い靈感インスピレイションの源泉に火を點ける事が、異常な方法論を以て禪の目的とするところなのである。

悟りは「狂ふ」事、通常の意識のレヴェルたる知的な段階を超脱する事である。悟りは何かしら異常なものなのである、と前に言つたが、悟りには別の面があつて、それは通常に異常を見、平凡に神祕を感知し、創造全體の意味と意義を一擧に了解する或一點を把握して、一本の草の葉をとつてこれを丈六の金身佛に變ずるのである。


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2008年6月11日水曜日

日本人への遺言:龜井勝一郎 1949

 
我々には祖國はない。いや觀念の祖國は多すぎるのだ。或るものはソ連式共産社會に、或るものはフランス式知性に、またアメリカ的デモクラシーに、日本の國粋に、夫々の祖國を夢みつつ國籍喪失の流浪者となる。敗戰によつて一層明確になつたこれは冷嚴な事實ではあるまいか。そしていづれの國の占領にも慣れるであらうか。時と場合によつて、いかなる旗でも掲げるであらう。萬國旗によつて自己の屍を包まうとする悲しき文化國家であるか。  龜井勝一郎『現代人の研究』1949

ハイマアトロス、デラシネ、ノスタルジア
そんな事を感じ思ふ事もなくなつた魂、
放恣な自由のもとで野性と化してしまつた幼稚な魂、
たゞたゞ不滿と憤懣に打ち震へてゐるだけの魂、

かくも無慙に自滅していつた民族


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2008年6月10日火曜日

日本人への遺言:柳田國男と折口信夫 1947

 
戰後の或年の春、折口は成城學園にある柳田宅を訪れた。櫻盛りのうららかな日であつた。柳田は折口を外へ誘ひ出し、一時間ほどかけて成城から喜多見にかけての村の櫻などを見てまはつた後、日本民俗學研究所に戻つて、書棚の竝ぶ一室に入つた。その頃から二人はあまりものを云はなくなり、表情は暗鬱なものになつてゐた。盛りの櫻は二人に苦しい想念を誘つたのかも知れない。 やがて、柳田から口を切つた「ねえ、折口君。戰爭中、我々は櫻の花が日本人の心の象徴であるやうに言ひ、若い者がこの花の散るやうに死に急いで、自分の命を進んで死地に捨てることを見てきたのだが、こんなふうにして若者が命を絶つことを潔いとし、美しいとする民族が、日本人のほかにあるだらうか。もしあつたとしても、さういふ民族は早く亡びてしまつて、まはりを廣い海に圍まれて他の民族と爭つたことのない日本民族だけが辛うじて殘つたのじやないかしらん。あなたは、どう思ひますか」、さう云つて柳田は床の一點を凝視して、胸を抱へるやうに腕を組んでゐた。向かひ合ふ折口は、答を返さず、深く頭を垂れてゐた。お互ひの學説に微妙な相違を持ち、時に假借ない論爭を繰り返して、この師弟は日本人の心意傳承を研究して、その心魂の據り所の解明に努めてきた。この二人の學究が重苦しく思ひ沈んでゐる。私の記憶には、日光の遮斷されたやうな花暗い研究室で、影繪のやうになつた二人の姿が燒きついた。沈默は續き、ついに折口は答を返さず、柳田も求めず、話は、ベネディクトアンダーソンの『菊と刀』に話題を轉じた。
{岡野弘彦『折口信夫傳』2000 より


{1947昭和二十二年1005に雜誌《悠久》の座談会「神道とキリスト教」での發言
折口信夫「戰爭が濟みました時に、神が敗れた理由を吾々は解かなければいけない。何のために神が敗れたのか。誰か解決してくれた人があるかも知れませんけれども、神道のはうでは存外そんなことを言はないで、すぐに樣子が變ってしまったと思ひます。。吾々の考へてをった神が、日本人の持ってゐる神の本質ではなしに、怒らない、憤らない神といふふうに考へ過ぎてゐる。ちっとも憤りを發しない。だから、何時も吾々どんなことでもしてゐる。 …… スサノヲの命のやうな性格があって、非常に怒りやすく非常に暴れられる。さういふ性格が神に欲しいのですね。欲しいといふことは、吾々だんだん神からさういふものを取り去ったといふことを考へるからで、神を非常に神聖な、非常に圓滿なものと人間が勝手に考へてきた事です。。なんでもかでも寛容してくれるものにしてをかうといふ懶堕性、日本人は全體にそんな懶堕性をいふものを持ってゐる。。それでなければ、吾々はかういふ事が起きた以上嚴しく神にたいして反省しなければならないはずです。どんなことをしても神は罰しない、神は怒らないと信じてゐるために皆がどんなことでもする。。日本では怒る神といふものはデモンとかスピリットだとか、低級な神に押付けてしまって、いい神は皆祟りをしない神と考へるやうになってしまった。



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2008年6月9日月曜日

日本人への遺言:小林秀雄 1974


左翼だとか右翼だとか、みんなあれイデオロギーですよ。あんなもんに「私」なんてありゃしませんよ。信念なんてありゃしませんよ。どうしてああ徒党を組むんですか?日本を愛するなら?。日本を愛する会なんてすぐこさえたくなるんですよ。馬鹿ですよ。日本てのは僕の心の中にあるんですよ。諸君の心の中にみんなあるんですよ。気がつかないだけだよ。こんな古い歴史を持った国民がね、じぶんの魂の中に日本を持っていないはずがないですよ。
―― 小林秀雄講演『信ずることと考へる事』1974


「僕の心の中に日本がある」うちはいい。小林秀雄の世代はまださうであつたかも知れぬ。だが、戰後の日本人は「古い歴史を持って」はいても、それを識る事がなくなった。文化も傳統も日本的なるものは日常の生活から放棄され、身丈にあふはずのないアメリカナイゼイションを得意のハイカラ趣味、いつもの全身主義で受入れてしまつた。そのあげくのこの日本の現實をみれば、一九七四年の老年となつた小林秀雄の日本人への信頼がノウテンキなものに思はれてくる。




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2008年6月4日水曜日

「せんとくん」にたいして「まんとくん」登場!

 
もう何をか云はんや、である。
「せんとくん」にたいして「まんとくん」、
これでは話題づくりのために、官民裏で手を握っての(好意的に解釋すれば阿吽の呼吸による)出來レイスではないのかと私などは疑ひを抱きたくなる。
「まんとくん」とは『續日本紀』にある「萬人滿都(万人都に滿つ)」の「まんと、まんと」によるとの事だが、あまりにも上出來な命名に、これは先に名前があったのではないかと私は疑った。
撰ばれたマスキャラはマントを卷いてゐるが、マントと平城遷都とは何の關係もないし、そもそもマントの必要性もない。「まんとくん」といふ名前のために必要もないマントを首に卷かせたのではないか、と疑ひは強まる。 ‥‥
これに加はるに、角を生やした小僧さんの「せんとくん」にたいして角を立てて反對運動に決起したナントカ會のお坊さんの團體も獨自のマスコットキャラクターを作ると云ひだしたさうだから、「おくとくん」になるのか「百度君」になるのか知らないが、マスコットキャラクターは三つ巴となって、本來の遷都記念の事などそっちのけで「マスキャラ」どもの氾濫と横行に、さながら古都奈良は惡夢のごときドリイムランドの樣相を呈する事になりさうだ。
かうして、嚴肅なセレモニイであるべき平城遷都記念行事は、マスキャラ騷動に終始するイベントとなつてしまった。
マスコミは「ゆるキャラ」騷動を囃し立て煽り立て、事業當局はその宣伝効果を金額に換算して取らぬタヌキの皮算用にほくそ笑んでゐるが、マスキャラ騷動に熱中して、これがなんのためのものか、何のための祭のためのものか皆目忘れ去られてゐるのではないか。

いったいこの國は、日本人はどうしてしまったのだらう。


この國は全体發狂してゐるのじゃないか。
なにをやるにもマンガチックなシンボルマスコットを必要とし、知恵を絞って幼稚なアイコンを濫造し、世の中を「ゆるフン」状態にして、つい最近も、判員制度のキャンペーンでのマスキャラ&ヌイグルミのテイタラがあったばかりだ。
まったく、どうかしてゐる。
近來にない危機的状況に際してゐるといふのに、どこからも緊張した自省の態度が出てこない。
「眞摯に、深刻に」國をおもふなどといふ心理などこの國は教へてこなかった。

私は
『きよきまなじり*つよきまなざし』となつて、
王樣の裸を指摘する少年となつてやる。



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