2008年4月15日火曜日

平城遷都1300年記念事業:速報「せんとくん」

 
{速報
ひさしぶりの上天氣、
ニュウスで例の遷都事業のマスコットの名前が今日決定と聞いて、「奈良は燃えてゐるか」とふざけて、まだ何も起ってゐないだらうが、「主戰場」となるあたりの偵察に出掛けてみる。どうせの事だ、県庁にも行ってみるか。



奈良町を通り拔ける途中、十輪院があつた。
十輪院と云へば、

奈良町を通り、猿澤の池から三条通りを見囘るが、いまだ平城遷都記念祭關係の貼紙の類は皆無。
なんだか私一人がハシャギ囘ってゐるみたいで、さう思ふと「狂人の眞似とて大路を走らば則ち狂人也」といふ『徒然草』の一節が鐵槌の一撃となり、氣恥づかしさと馬鹿馬鹿しさで、スゴスゴとした氣分となつて歸途に就く。県庁行は当然中止。

三条通りを下り、JR奈良驛前で、奈良新聞本社?の新聞掲示板に「せんとくん」に決定の速報が貼りだされてゐた。
まるで「宣戰布告」と「召集令状」の速報でも見るやうに見詰めてゐる私であつた。




Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World 

 

2008年4月12日土曜日

キナ臭い感じもしてきた?平城遷都1300年記念事業

 renew 080412
平城遷都1300年記念事業に、新たな動きがあつた。
官の或種横暴な態度に民からの反撥により、きなくさい感じに火が点いた感じで、聖典であるべき遷都一三〇〇年記念事業が「おもしろうてやがてかなしき「滑稽にして悲慘」なる樣相を呈しつつ、にぎにぎしくも第二幕が始まった。
斷るまでもないが、私は官民これらの組織とは一切何の關係もない。獨立獨歩、孤立無援、天上天下唯我獨尊如是我聞、云はば天からの聲「きよきまなじり*つよきまなざし」を氣取って「眞摯に、深刻に」、絶對的な立場から亡國日本の形見となるべき構想&造形に目下鋭意努力中。


4月12日7時0分配信 産経新聞
平城遷都祭キャラ、市民グループが独自公募へ

平成22(2010)年に開催される平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターに対し、地元のデザイナーらでつくる市民グループが反発し、近く、独自 キャラクターの公募に乗り出すことが11日、分かった。JR奈良駅前(奈良市)の商店街振興組合なども、新キャラクターへの“相乗り”をさっそく決定。異 論を呼ぶオリジナルのマスコットに対し、ついに市民が「ノー」を突き付けた格好で、今後もこうした“包囲網”は広がりそうだ。
3月29日20時56分配信 毎日新聞
県などでつくる平城遷都1300年記念事業協会が2010年に開く「平城遷都1300年祭」のマスコットキャラクターが話題を呼んでいる。注目が高まった きっかけは市民から「可愛くない」などの意見が続出したこと。だが、批判の声は好き嫌いにとどまらず、選定過程の非公開性や費用が高すぎなかったかという 点にまで広がっている。協会はこうした声にしっかり応えているだろうか。【中村敦茂】→本文

こんなのはダメだ!
 もつと眞摯に、もつと深刻に


平城遷都1300年記念事業

私的に
亡國日本救済事業

すべく
きよきまなじり
つよきまなざし

なりて

(乞ふ!御期待)

Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World 



思考と空想:1991 散文について

 
私は散文が得意でない。はつきりと苦手である。文章が續かない、續けられない。二三行も續けるとしどろもどろ、支離滅裂になつてしまふのだ。だから、私は詩人だと云ひたいのではない。
原因は、と淺學菲才は別にして探つてみた。そして、これだと思はれた結論は、私が極度な人間嫌ひで、世間との社界生活を生れてこの方營んだ經驗がないせゐだといふ事になつた。
世間と沒交渉の者に散文は殆ど不必要なのである。報告したり説明したりするために人間はおのづと散文的に場面を記憶していくのであらう。例の、4W1Hで何時どこで誰が何をどうしたと記憶=記録されていくのだらう。
ところが、孤獨者はおのづと夢想家であり、例の意識の流れといふヤツで、それも時間的(それならまだしも散文的である)といふより空間的に一時に多重の想起が錯亂する虹のやうに襲來して、たちまち現實から遊離させてしまふのだ。
孤獨な夢想者には句讀點や段落改行の必要がない、といふか習慣がない。あの時そこにゐた私は何をしてゐたか、よりも何を感じ考へてゐたか。その體驗が散文で記述するにはまるで錯亂した心象の重なり合ひであり、しかもまさに華嚴的に互ひに互ひは多重に關連しあつてゐて、たつた一瞬の事でも「失はれた時」の延々たる再現とならざるを得ず、イモヅル式はたちまち編目模樣となりゆき、やがてつひには収拾がつかなくなつてしまふのだ。しかも、作文中にはあらたに想起連想、修辭が加はるのである。どうして理路整然たりうるだらうか。
そもそも、
机にへばりついて一字そして一行と繼續していく作業が陰氣くさくシンキくさくてやりきれないのだ。作業の持續、氣分の繼續といふのが生來苦手なのである。そんな苦手の苦勞までして書き遺さなければならないやうな事件なり體驗なりはさひはひにも私を訪れなかつた。
ところが、
運命とは皮肉なもので、ボウドレエルではないが、




Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World 199108 


2008年4月11日金曜日

思考と空想:1991 城といふ迷宮

 
黒沢と小津の映画の季節感
黒沢の映画の季節は茹だるような暑さの夏だ。真夏が断然彼のトポスだ。『羅生門』『酔いどれ天使』『野良犬』『生きものの記録』『天国と地獄』等々。
秋なのに真夏のような『七人の侍』、眞冬でもまた真夏のような熱気を帯びる『用心棒』。
真夏に撮れなくなった時、彼の創作力は枯渇していった。『あかひげ』から『ドデスカデン』、それ以後

一方、小津の『東京物語』は眞夏なのに秋めいてゐる。
『晩春』も『麦秋』も秋の感じだ。



ウンベルトエーコ原作の映画『薔薇の名前』をBSで観る。
修道院という迷路迷宮、城の探索(迷路という構造自体が探求を始めさせる、その最奥に秘められているものが笑いについてのアリストテレスの本であったとは中々巧いオチだ。

迷宮としての城、ヨウロパ文学論として
ハムレットは城=迷宮の悲劇ではないだろうか。王子のトポスとしての城のその迷宮性に迷い出して行って、脆くもハムレットは自滅するように敗北した。
迷宮としての城の主題は、その後カフカの『城』にまで至る。エーコの『薔薇の名前』もその主題は、迷宮としての城である。



すべての線が絡みあつて虹の紐のやうな

マンダラとは蜘蛛の行う作業のやうなものだ。世界を捉える網



性夢
箱の内部に描かれた微笑、透明な膜が幕となって絶縁する、
屈折する通廊、入って行けない、半透明の風に動くカアテンがミスティケイトするだろう、
暗闇の奥にある寝台?、

夜明けのおんなのからだ/朝のおんなのからだ
しっとりとしたあたたかさ、もっとも羞恥心からとおのいた姿態の放恣、
女体だけとなつてねむる
そこから朝が生れてくるやうな
×
女の大陰唇は発情するとそれ自体がイキモノのやうに襞を延してきて、少年の素チンを吸引するような感じで、私は性欲によって変態していく女体に不気味な感じを抱く。その割目から女はすべてを呑み込んでしまう、ブラックホウル、{目覚めて私は絵画で構想した『最後の聖母子』をこの夢によって強く想起した。延びてくる黒い襞の怪物的おぞましさ(画面はクロウズアップで捉らえている)に、私は我が子を犯す母親を妄想した。 ‥‥



「無爲而無不爲」に至る過程、イメジトレイニングによって、
或部分の動きをそれだけを強く意識する(事で他の動きを「無爲而無不爲」にする。その或部分をいろんな部分で行う。徐々に動作のイメジを簡素化していく。やがて「離見の見」の情況が可能になって、スイングが見えてくる。意識はクラブヘッドの運動へ向う。スイングプレインを動いていくクラブヘッドを私は見ている(もう少し積極的に言うなら、見張っているだけだ。静態、暝想的状態。私の意識はアクターというよりスウパアバイザである。その時、私はひとつの境地に達している。
下半身は動いてはならないものだ、それは運動の基盤であり機軸であり、盤石なものでなければならない。下半身はできるだけ小さな動きでなければならない。



士人論「精神の貴族」
こういう提言はまことに時代錯誤に聞えるだろうが、、現今の日本社会の実態を見るにつけ聞くにつけ、このような低俗な人種ばかりでは亡国はすぐそこにあると云わなければならない。現代にどうやって士道を定立させるか。
現代にもっとも払底しているのは、士人君子の類ではないだろうか。
士心によって初めて志ある者になる事が可能なのだ。志は士心の要素だけで出来ている。ダジャレで云っているのではない。士心なき者の立志とは、野心野望であって。現代だからすべての志が、ソコの浅い野心に終わっているのである。
士人と云えば、モノノフやサムライと考えられては困る。士人とはもっと時代に普遍的な、男性についての絶対規定である。
例えば、武士道とは帯刀と士人論から成立しているものであって、そこに出来上がる具体がサムライという事である。この現代に、武士道とか何とか、声高に武張って提唱してみたところで、刀を差せない日常の社会では畢竟茶番と終るしかない。現代に於ける士人の様態とは、どういうものであるかあるべきかと真剣に構想してみようではないか。
士人とは精神の貴族である。
この大衆化社会に態と自己を反定立させて、自ら選ばれた者、撰良となっていく事である。
士人論の基本經典を私は『老子』に求める。
儒教はいはば小人を君子に仕立てる教えだ。



現代論
現代の子供たちの想像力が非現実感を強くしている傾向の具体的な例として。
彼等の抱く興味関心が、一方は太古の恐龍、もう一方ではSF的彼方の未来という両極端に、現代からより遠くの物に向かっている事実をあげればいいだろう。彼等はもう少し成長すると、今度はUFOとか占いとか霊とか、超能力とか反実体的なものにうつつを抜かすようになる。現実を直視しないために、絶対的な異次元の彼方に逃れて、鎧を被るのだ。
もうひとつ、昆虫、それも甲殻類に対する偏愛ぶり、そこに私は彼等の変身願望というようなものを感じ取る。昆虫自体よりも昆虫の強固な感じのする外皮に彼等の本当の関心があるのではないだろうか。カフカの『変身』も実は彼の願望であったはずだ。不安とか不条理とかがあの小説の基調ではない。或種の明るい感じ、満たされた夢の甘美さがあのあの小説の奇妙な魅惑なのである。そういう意味であの短編は現代を予感していた事になる。




Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World 199108 

 

2008年4月10日木曜日

思考と空想:1991 ナイヴといふナイフ

 
普通とすこしだけ、ずれた*ずらした、視点。
差異にも、目立つものと氣付かれぬものと



熟慮された即興」ドガ
Edgarドガは感覚が表現となり思想となりえた最後の画家であったのかも知れない。
その後の芸術家は感覚だけか、さもなくば思想だけである。
キチガイかさもなくば詐欺師かのいづれかだ。



ナイヴといふナイフが私の武器だ。
この鋭利な武器によつて、私は「王樣の裸」を揶揄する「オホカミ少年」となる。



時が堰を崩したように流れ去って行く。時の急流に棹さす術を失って(最初から知らなかったのかもしれない、私は、むしろ或種の快感を覚えつつ、激流瀧壷へと流れ墜ちていく。すべての努力は水泡と帰した。それらは、時の流れの(永遠に静止しているかのように)穏やかであった上流の清らかな浅瀬での、今こうしてみれば夢のような時間であった。昨日の事が去年の事のように既に遥かに遠い。
この流れを逆行するには
逆行するよりも、むしろ、流されるままに運命に従順にこの激流を流されて、瀧に落ちて、或はそこに、またひとつの永遠のような深淵が待っているかも知れない(待っていないともかぎらないなどと



仁義などと時代めいた事は云うまい。道徳倫理、これも観念としてはともかく体感としては持ち合せていないのだろうから、口酸っぱくしていくら云ってみても仕様がない。亡国が間近、すぐそこにあるとだけ脅かしておく。
我々には既に、道徳とか倫理とかの言葉の観念はあるにしろ生理的体感としては認識できなくなっているのにちがいない。おそらく日本人の殆どが、その関心は、すべては金次第、どんな事でもお金でカタが付くと思っている。
現代、この日本では、すべてがすべてカネに纏わる事件ばかりだ。お巡りさんは(届け出拾得物の小金を着服し、銀行員は(架空口座で金を動かし、証券マンは(偽情報で詐欺する、暴力団は白昼堂々(ゴルフ場で謀議を凝らし、、そして上司は知らない会社には関係ない、懲戒免職して一件落着、こんな報道には慣れ切った、本気で誰も驚かないし誰も怒らない。亡国はすぐそこにあると云わなければならない。
「大道廃れて仁義あり」
と、ここで大笑談に振りかぶってオウヴァスロウに、仁義道徳を説くのにふさわしい時なのかも知れぬ。



アポカリプスかぷりしゃす
終末的状況はきわまりゆく。だが、終末はやってこない。だらだらと悪くなっていくだけの状況が続いていく。順応する事の得意な生き物である人類はこの悪化にも順応していくだろう。順応する為に人は増々悪化して、世界がそのまま地獄の様相となっていく。生きる事がそのまま地獄を生きる事であり、もっとも生き残る者がもっとも地獄を生きなければならないというような此ノ世の状況となる。


Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World 199107 

 

2008年4月8日火曜日

思考と空想:1991 ゲイジツ的とゲンジツ的と

 
nature culture future



ゲイジツ的とゲンジツ的と、たつた一字の相違、
「虚實皮膜」と近松門左衛門は云ってのけた。
レアリテとレアリスムとにはゲンジツとゲイジツほどの相違がある。
sur なレアルと sous なレアル



「良心の惡意」といふ事が理解できるだらうか。
これが文學の祕密ともいふべき精神であり、この精神によつて文學は宗教以上の宗教的體驗を可能にし、政治以上の政治的經驗を實現してくれるのだ。ウソだと思ふなら、ドストエフスキイを讀んでごらん。



思想に一貫性を求めてはならぬ。むしろ矛盾する事こそを。
私が散文家ではなく、詩人なのならば、
私がイデオロジストではなく、コスモロジストならば、

體系の完全など一つの破綻で脆くも全壊してしまふ。
矛盾こそが永遠の謎、祕密魅惑の源泉なのだ。



なましいたけがかなしいだけと讀まれた。オレはホンモノだ。


Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World 199107 

 

2008年4月7日月曜日

比喩と揶揄:『戀愛について』キレイキタナイ風

 
『恋愛について』

不毛だつていいじゃないか、愛などは、うつくしければ、
うつくしければ倦怠だつて堕落だつて、愛のかたちなど、さ

健全な恋愛は、安全だけど真剣とは云えない、
疑問して詰問してそれこそ真剣な恋愛さ、
そうして愛はひとつのかたちになるのさ、
破綻してこそ、終焉してこそ恋愛なのさ、

結晶とは凝固であり、恋愛は自由との闘争となるだろう、
あなたを愛すれば愛するほど私の存在は自由を喪失していく、
凝固した結晶した愛は、ザルツブルグの小枝の塩のように、やがて、ぽろぽろぼろぼろと壊れ落ち剥がれ落ちていく運命であるだろう、スタンダルはどうしてそこまで考察しなかつたのか、
恋愛とはそのまま破綻していく過程である、
一瞬の出会いの幸福と時間を掛けて壊れていく過程の不幸、
それが恋愛である。

{未熟な時代の未定稿

Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World 



2008年4月6日日曜日

080406 聖火よ、世界中に火を点けてまはれ。

ロンドンパリと北京オリンピックの聖火リレーが各地で大騷動になってゐるが、
政治ショウ化し、世界をスポウツバカにしてしまったオリンピックそのものより、かうして世界中を騷動に卷き込みつゝ經巡る聖火リレーのはうがオリンピックの理念と精神に沿ったもののやうに思はれてきた。

聖火よ、世界中に火を点けてまはれ。


付記、080408
聖火の件は、わが豫言どほりの進行となりつつある。
世界は今や「騷動」したがってるやうだ。
この騷動はやがて物価高の現実へと向っていくだらう。

2008年4月5日土曜日

比喩と揶揄:デモクラシイについて、怠惰に、否定的に

 
怠惰に、否定的に、
デモクラシイについて考えてみた、
デモクラシイとは、所詮、デマクラシイであり、ダマクラシイであり、遂にはバカバカシイものであると。
デモクラシイを支配しているのは「でも暮し」のエコノミイであり、エコノミイとはエゴノミイであり、遣りたい放題私利私欲。結局、デモクラシイは人間の私利私欲には轡を填めれない、どころかその放縦を助長する。

政治に熱中する人はほんの一握りで(しかも彼等は政治を利用してやろうと考えているのであり(何かの利益があればその尻馬に乗ってもいいと考えているのが残りの大部分なのである。正義も邪悪もない。政治とは具体的な利益の収奪である。
選挙とはミコシを擔ぐお祭であり

現代の政治の水位の低劣さはデモクラシイと無関係ではあるまい。
政治は民意を反映するだけではダメなのであって、理念に指導されていなければならない。
(つまらない、もうやめた。


Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World 

 

2008年4月2日水曜日

ニッポン終末ニュウス 20080401 母の子殺し

 
「おかあさん」 西山拓海

  おかあさんは
  どこでもふわふわ

  ほっぺは ぷにょぷにょ
  ふくらはぎはぽよぽよ
  ふとももは ぽよん
  うでは もちもち
  おなかは 小人さんが
  トランポリンをしたら
  とおくへとんでいくくらい
  はずんでいる

  おかあさんは
  とってもやわらかい
  ぼくがさわったら
  あたたかい 気もちいい
  ベッドになってくれる


入学式心待ちの小4長男、30歳の母親が殺害…八戸
2008年4月1日(火)21:29
 1日午後1時ごろ、青森県八戸市美保野の民家で、この家に住む市立美保野小4年の西山拓海君(9)が寝間着姿で死んでいるのを、祖母が見つけた。 拓海君の母親で無職の未紀容疑者(30)が「寝ているところを電気コードで首を絞めて殺した」と認めたため、八戸署は殺人の疑いで緊急逮捕した。 発表によると、拓海君は2階の子供部屋で、布団の上に倒れていた。未紀容疑者が首を絞めたのは午前9時ごろとみられる。拓海君は、未紀容疑者と祖父母の計4人で暮らしていた。 美保野小の佐鳥幸代教頭によると、拓海君は07年度の在校児童4人では最下級生。新年度は4人が入学する予定で、拓海君は「お兄ちゃんになれる」と、7日の入学式を心待ちにしていたという。
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20080401-567-OYT1T00617.html


なんかもう、この國はもうダメだな。「妣の國」の日本で、母親がわが子を殺すなんて事件が頻發するやうになつては、ここまで人の心が狂ひ壞れてしまつては。

それにして、いい詩だなあ。私のやうな人非人でも、母親の事をおもひだした。と云ふより若き母親の感觸に抱かれた。
「たらちね」垂れるほどゆたかな乳房で母の事を形容修飾した『萬葉集』以來、母戀ひ物の數多い日本で、「おかあさん」への幼年から少年にかけての官能と願望とが素晴しい詩を作らせた。掛値なしにこれは傑作の詩だ。

この詩は比喩と揶揄とをみごとに驅使して手本にしたいくらゐだ。
まづは、おかあさんの「やはらかさ」をハ行を中心とした統一感のあるオノマトペで表現して、その味はスヰイトにしてビター、ユウモアがありウイットがあり、對象=母體への愛着と諧謔とが心地よい。つづいて後段では母體=女體への官能と願望とが大胆な比喩をもつて示される。「小人」が「女體」で遊んでゐる/遊んでゐたいといふ(一寸法師につながる)母體といふより女體への官能が示され、「ベッド」のやうな母體=子宮への囘歸願望を示し、母親讚歌によつて締め括られる。
あるいは、この詩ができた頃には、母親との密接な接觸關係はできなくなってゐたのかも知れない。
前段で連發されるオノマトペをはじめとする形容の、女體への皮肉ぶりが憧憬と同時に反撥(「とほくにとんでいく」で明らかに示されるやうに)を感じさせ、幼年から少年への心理成長=反抗期の喪失感がこの詩を作らせたのではないだらうか。 ‥‥

たらちねの母を別れてまこと我れ旅の假廬に安く寢むかも
 
『萬葉集』防人歌

やすらかなれ、とはとても云ふ氣になれぬ。悲しいだけ、やるかたもなし。



Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World 



2008年4月1日火曜日

AprilFool「キレイキタナイ」FemaleComplex







Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World