2007年11月21日水曜日

BobbyJones:GolfBallGame as GlassBeadGame

インターネットを閲覧してゐたら、ゴルフのボビイジョウンズのアルバムに遭遇した。
ひさしぶりで「アンクルパア」に再會した懐かしさがあつた。

彼が年間グランドスラムを達成した時

ゴルフを始めた時には、ボビイジョウンズの事は私の神話の一つになってゐた。
そのプレイぶり(彼のスヰングを見た事はなかった)よりも、その發言の素晴しさに、かうした彼を育成したのがゴルフならば、ゴルフといふプレイは日本の身心學道に通ずるものがあるのではないかと思はれたのである。
彼の言動のいくつかを拾いあげれば、(引用
彼は云ふ、(引用

ゴルフに審判はゐない。プレイヤがレフリイも兼ねる。正直でなければゴルフといふプレイは成立しないのだ。
この事から、私は「背後の神」といふ思想を抱いた。
そして、「ガラス玉演技としてのゴルフ球演技」といふアイデアとプランで、ゴルフプレイの東洋的身心論化を試みたのであった。


BobbyJones HomePage
Analysis of Bobby Jones Golf Swing

Bobby Jones "Down The Fairway "(Rare Book Collections)

Art of Heart ∈ 思考69空想 ∋ Word of World 

2007年11月9日金曜日

日録:平城寧樂奈良:正倉院展

春日山、手前が御笠山(その山麓に春日大社がある)

奈良國立博物館(金曜日は夜七時まで開館してゐる)


正倉院展に行ってきた。
年中閑散たる奈良國立博物館も、正倉院展の時だけは盛況も盛況、立錐の余地のなきほどの見物の列となる。
協賛する讀賣新聞のサイトで混雑状況を確かめ、わざわざ金曜日の五時過ぎを撰んだのだが、入場はできたが、中は私などには息苦しくなるほどの人の群、それが壁に貼りついて長蛇となつて少しづゝ動いてゐる。
正倉院の寶物は貴重には貴重な物ばかりだが、 ―― ま、惡口は省略してをく。

聖武や光明たちが作りだしたこの日本といふ國家、以來一千三百年が經過し、連綿として續いてきた日本も、今やまったくの亡國の相。しかし、おもへば、よくぞ長きにわたり、この極東列島の地域を日本といふ統一王朝を持續させてきたものだから、むしろ世界史において奇蹟的なこの事實のはうに感動を逞しくすべきであらうか。

今や日本人がアイデンティティを日本に求める事もない、むしろ日本なるものを嫌惡し、放棄したいと望んでゐるのではないか。ノスタルジアでしかない日本

2007年11月7日水曜日

日録:平城寧樂奈良:白毫寺

日中、白毫寺の界隈から新藥師寺にかけて、散歩がてら寫眞撮影に行ってきた。

高圓山(白毫寺は左、住宅地の上の森の中)

白毫寺の石段から西方を望む(正面の山が生駒山)

白毫寺は高圓山の麓にある。
高圓山は春日山の南隣、平城京の時代から聖武天皇の離宮などが建てられ、文雅化していく官人たちの遊び場のやうになってゐた。
『萬葉集』にも多く詠はれ、その數は春日山より多いかも知れない。そのなかで、私がもっとも好きなのは、大伴坂上郎女の
> 獵高の 高圓山を 高みかも 出で來る月の 遲く照るらむ

夏の間は南に行ってゐる月が秋の頃から高圓山に戻ってくる。秋の深まりとともに高圓山から春日山にかけて、山の端を照らして出てくる樣は、飽かず眺める私に古代の時間を髣髴とさせる。神々しさに、影向といふ氣配さへ覺える。


白毫寺は元は志貴皇子の離宮といふか別業であつたと云ふ。
その眺望は今でも市街を見下ろせて、當時の平城京を風情させてくれる。